関西ハードコアの歴史其の五

今回はパンクスが集ったスポットを紹介しようと思う。
オレンジルームって知ってるやろか?
かつて阪急ファイブの8階にあったハコや。
ここはライブハウスというより、アングラ劇団などには重宝された場所でギグの場所すらなかったハードコアの連中もここやったら思う存分やれた。
(でも阪急ファイブちゅうのは若者ファッションの最先端ビル)やったんやけど・・・
AA不法集会もここで何度もやったで。
後に同ビルに『M-KIDS』下りて北側あたり(エスト)に『BLACK』が出来て、ガーゼシャツや鋲付リスト・ベルト・革ジャンなど容易に購入することができたんや。
でも当時はヘビメタ全盛やからそっち系の方が多かったんやけど、これ系のブティック自体無かった時代やからそら重宝されたで。
近所のバーボンハウスとかキャンディーホールに出てたEシェイカーとか44Mがキャーキャーいわれてた時代や。でもこのあたりからパンクファッションが画一的になった様な気がするな。
金で手入るから工夫が無くなったんやと思う。
まあ古いパンクのVTRを見て何かもの足りんと思うんは結局ファッション的な所があるんちゃうかな?(試行錯誤のほうがオモロイと思うが)
で、その『BLACK』のさらに北側(エストの中やね)にあったのが『ワルツ堂』自主制作レコードを積極的に扱っていたレコード屋でずいぶんお世話になった・・・
現在は、阪急ファイブは取り壊され、『HEPファイブ』としてかつてコマ劇場のあった場所を中心に
場を拡張してて(今は観覧車でデートスポットやね)肝心のオレンジルームは名前を変え『HEPホール』として存在している。

無くなった店ばっかり言うてもアレなんで・・・今でも形跡のあるトコ紹介するわ(時間あったら探訪してや)
扇町の(現関西テレビ)方、ぴあ(ミュージアムスクエア、ってこれも潰れたか)から東通り商店街へ入って最初の角を左へ曲がったとこ(ガススタの手前)のビルの3Fが246スタジオや。
かつてのAAレコード収録メンバーはもちろん、今でも若いパンクス達がよう練習しておる。
円広志さん経営のスタジオで他にも(スタジオA、GEN等々)現在もそのままやけどな。
で、曲がらずににまっすぐ進んで王将のつぎあたりの角を右に曲がって北に進んだとこにあるラーメン屋『揚子江』は、COBRAのVo.がバイトしてた店!(そのままあだ名になったんや!)
ただ、ここはウマい!(塩ラーメンの透明スープやのに味は深い!(俺は醤油トンコツ派やのにウマい思た!))
そのまま真っ直ぐいくと梅田に出る、ほんで阪急イングスの隣あたりの百又ビルの地下にあったんが
ライブハウスのバーボンハウスや。原形はそのままやけどゲーセンになってその後はよう解らん
『COLOR』の事件で閉鎖したけどそれ以前にかなり経営不振やったんは事実や。

ほんで地下鉄に乗って恵美須町でおりる。
出たら左手に浪速警察署、ほんで前方向かいの角の鋭角的なスペースの売店(牛乳とか雑誌、新聞を売ってる)
売店のおばちゃんにこう聞いてみ『スタジオ開いてるかぁ?』って
ほんなら、おばちゃん訳の分からん大学ノート出して「ここに名前書いて!」いうてカギ貸してくれる!
いまでも営業しとったらの話やけど(まぁ潰すのにも費用がないのんで中はそのままと思うんやけど)・・
そのカギで隣のドアをあけたらいきなり地下への階段、しかも暗い(ポスターはキャロル時代の永ちゃん)が貼ってある。
とりあえず電気探して、生きているギターアンプ探して(ゴロゴロ転がってんるんや死んだやつが)
俺らはじめてここで初めてやった曲がディスチャージのネバーアゲインやったんやけど、音響不備のせいもあってキンキンや!何やっとるかわからん!
・・・でもな、ここいろんなバンドのメッセージがマジックやスプレーで壁一面に書き込まれてるで。
ラフィン(最初期)はもちろん、ハードコアやメタル連中も!(当時を知るんやったらオモロイで)
やってなくても興味がある人はおばちゃんに無理いうてでもいっぺんドア開けてもうたらどないやろ?《つづく》

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