番外:世界一性格の悪い男
題名を見て誰のことだろうってふと感じて読んでいただけましたら幸いです。
世界一性格の悪い男
プロレスファンならご存じだと思います。
鈴木みのる選手
です。
1968年生まれの今年で53歳、現役バリバリです。
鈴木選手がなぜ世界一性格の悪い男と呼ばれているのかは、プロレスでのファイトスタイルにあります。
例えば、
・技を受けてなんぼのプロレスで相手の技を受け流し、おちょくる
・相手の弱っているところ、けがをしているところを執拗に攻める
・試合中に対戦相手だけでなく観客もおちょくったり、罵声を浴びせる
等々、鈴木選手の悪行?をあげるとキリがありません。
昔は個人的に鈴木選手のスタイルが好きではありませんでした。でもプロレスの中ではまあ、こういうスタイルもありなのかな・・・くらいにしか受け止めていませんでした。
そんな私が鈴木選手を大好きになったきっかけがありました。それが、
東日本大震災
です。
当時、鈴木みのる選手は全日本プロレスに所属していました。発災当日は宮城県石巻市での興行へバスで向かっている途中だったそうです。
当然、興行は中止です。被災地を目の当たりにしながらバスは東京に戻ることになりました。
途中の道の駅での休憩の際に、鈴木選手は一人の青年に声をかけられます。
『実は昨日石巻の全日本を観にいく予定だったんです。観にいく途中に街がこんなになっちゃって。今も家族とは誰とも連絡がとれてません。
でも、でも、街は必ず!必ず僕達がなんとかします!みなさんは早く東京に逃げて下さい。そして街は僕らが必ず…必ず元通りにします!
プロレスは僕らにとって本当に大切なものなんです。必ずまたプロレスをみせに来てください。街は僕らがなんとかしますから。お願いします。』
と涙ながらに言ったそうです。
そのようなときにプロレスリングノアという団体の杉浦貴選手が、
2011年3月21日の試合後のインタビューで以下の発言をしました。
―MVP男との対決を望んでいたが
「次、日本人とやるからには業界の顔というかMVPを獲るくらいの影響力や発信力がある選手とやりたいですね。さっきは(リング上の勝利者インタビューで)勝手に名前を出したらどうかな(会社に迷惑がかかる)っていうのがあって、言わなかったんですけど、僕個人としては鈴木みのる選手とやりたい。できるかどうかはわからないですけど、戦えるのだったらやりたい」
―震災の影響が色濃く残る中での防衛戦だったが
「今、プロレスで勇気付ける、と言ったところで自己満足だと思うんですよ。今、必要なのは水であり、食料であり、物資。プロレスをやるなら夢のあるカードをやって、お客さんにたくさん観に来てもらって、その収益を義援金にすればいい。西日本では普通に生活ができているので、こうして興行をやって経済を循環させることも良いと思うんですけど、東日本だったら復興支援。言い方は悪いかもしれませんが、お金を作って送ってあげることだと思います。いつかライフラインがちゃんと復旧して、娯楽が楽しめるようになったら、僕らが試合をして元気付けられたらいいなと思います」
これを聞いた鈴木選手は2011.3.27にノアに乗り込んで杉浦選手とチャンピオン試合の前哨戦に臨みます。
前哨戦は鈴木選手の勝利でした。しかし、事件はそのあと起こります。
リングでマイクを要求する鈴木選手。マイクを手にすると、
『俺はどうしても今、お前に言いたいことがあるから、ここディファ有明に来たんだよ。
以前よぉ、杉浦貴って男がNOAHで一番強えって、凄えって話を聞いたから、そんな奴がいるならいつかやってみたいなって言った事あったよ。
それでよぉ、お前の口から「鈴木みのるとやりてぇ」って聞いた時はな、その言葉を聞いた時だけ背中がぞっとしたよ。
だけどよぉ、その後続けて言ったお前の言葉を聞いて、俺はがっくりきたよ。情けなくなったよ。
お前自分が何言ったか覚えてるよな?
「プロレスなんて元気を与えるとか、勇気を与えるとか自己満足ですよ」
今、苦しんでる人が水が必要だったりよぉ、電気が必要だったり食い物が欲しかったりよぉ、そんなことは分かってるからみんなでやってんだよ。みんなでやってんだよ。
なぁ?お前が苦しかった時によぉ、頑張れ杉浦って声かけてくれた東北のファン、誰が救うんだよ?
俺はな、お前のその雑誌の記事見てからなぁ、無性に腹が立ってなぁ、どうしてもこれだけは言わなきゃならねぇっ思って来たんだよ。
お前、MVP取ったんだろ?今チャンピオンなんだろ?なぁ?どうなんだよ?
お前がよぉ、プロレスの力信じねぇでよぉ、誰が信じんだよ。誰が救われんだよ。
東北でよぉ、苦しんでるヤツらの中によぉ、いっぱいプロレスファンいるんだよ。
そいつらの心助けるの水じゃねぇんだよ。食いもんじゃねぇんだよ。プロレスなんだよ!
絶対そうなんだよ!
なのになんでお前の口からそんな言葉が出てくんだよ!俺は悲しいよ!
俺、本気だぞ。本気でそう思ってんだ。
俺たちレスラーが胸張って、今苦しんでるヤツらにお前達の声のお陰で立ち上がれたんだ、俺達の声で立ち上がれってなんで言わねぇんだよ!それがチャンピオンだろうがぁ!』
静まりかえって聞いていた客席から、一部拍手が起こると
「拍手なんてするな!」
と鈴木選手が一喝。そのまま鈴木選手はリングを去りました。そして杉浦選手とのチャンピオン選手権試合を拒否したそうです。
その後、鈴木選手は東日本大震災後の復興のための支援活動を精力的におこなっています。プロレスという形で・・・・。
当時、私は自衛官として東日本大震災の災害派遣活動に従事していました。津波にのまれた地を見た後の虚無感と、日本の終わりを感じたことを今でも覚えています。
自衛官として国家・国民に奉仕することは自覚していましたが当時の私は正直、現場を目にして自分のできることに対する迷いと、「本当にこれでみんなが救われるのだろうか?」という揺らぎの中にいました。
そのようなときに鈴木選手が杉浦選手に発言した言葉で目を覚ますことができました。
自分のできることをやる。それでいいんだ
という確信を持てました。
以降、鈴木みのる選手という人そのものが大好きになりました。
試合スタイルは相変わらずですが自分のポリシーを貫いて現役で試合をされています。いつも勇気をもらって私は生かされています。
長くなって申し訳ありません。この内容は多くのファンの方が語っていたりブログでも書かれている内容だと思います。内容の被りはお許しください。
謝辞
今回、このような文章を書くきっかけを与えてくれたのは、ツイッターの友達とのスペースでのやり取りでした。ぜひ、この話を書いてほしいとの要望がありました。
猫ドさんに感謝。聞いてくれた方々、読んでくれた方々に感謝
了
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