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Socialize

今や、半永久的かとも思われる永続的一党独裁体制のようなものすら、社会主義を自称他称しているから、社会主義、socialismという言葉のイメージは最悪ラインにまで落ち込んでしまっていますが、でも、言葉の素朴な来歴をすなおに見直すかぎり、言葉のイメージをもう一度、正しく着換え直すことができるかもしれません。

そもそも、英語からたどると、名詞がsociety、形容詞がsocial、副詞がsociallyと来て、動詞はなにかというと、それはsocializeです。ですから名詞のsociety、つまり“社会”が複数の人間の何らかの動態を指しているとすると、その動態を記述している動詞はsocializeであるはずです。

そしてこのsocializeという動詞は、日本語の訳語は「社会化する」となり、イメージの悪い方の社会主義の優勢化によって「何々を社会化する」という、社会を代表する一党独裁の権威強化のような、おとろしい意味を持ってしまいました。「お前のあの土地を社会化しろ(社会のものにしろ)」というと、その土地を社会に提供しろ==党のものにせよ、という意味になってしまいます。

しかし、言葉の初源状態をもっともっと素朴レベルにまで遡ると、動詞socializeはAさんとBさんが互いに社会人としてお付き合いするようになる、すなわち、価値物(≒貨幣)の交換、すなわちトレードに依らなくても、人間対人間としてコミュニケーションできるようになる、という意味になります。つまり大まかに訳すとsocializeは、これまで他人同士だったAさんとBさんが人間同士として「仲良しになる」ことを指します。

そこで、社会主義政権とか政党とか、うっとおしい歴史的現実を外して、もっと素朴レベルに立ち返れば、socializeは、人と人とが互いに単なる人間として仲の良い関係を開始し維持する==「AさんとBさんが仲良くなる」、という意味になります。すると、

社会主義とは社会主義政党を自称する独裁政権による国の支配ではなくて、人と人とがsocializeすることをベースとする社会であり、社会主義とは、AさんとBさんが互いに孤独な裸の人間として仲良くなることがベース、という定義換えが可能になります。

(そこでたとえば、自称社会主義国家の某C国は、まさにこの「ベース」すらできていない、全国民的に反社会主義のお国かもしれない。)

で、そうすると、本物の社会主義は、お互いにsocializeしている仲の良い人間関係をベースとするものだ、というまったく新しい、コミュニケーションベースの社会定義が成立するでしょう。それなら、きわめて画期的革新的です。たとえば物の流通は価値交換に依らず、対話ベースで行われる。

ゆえに、これはまだまだ超素朴なレベルではありますが、今日の似非社会主義政権を駆逐するに足る、真の人間の真の相互的socialize~socializationをベースとする、本物のsocialismの誕生を、イメージできるかもしれないのであります。

人びとのsocializingなくして、なんのsocialismぞ、恥を知るべし。といった新しい理論が、そろそろ出てきてもいいのでは。別の言い方をすると、「社会」は既存静態(アプリオリ)ではなくて、つねに現在生成中のコミュニケーションの動態(それをsocializeが引っ張る)だ、ということ。

(画像: Central Pet)

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