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ルパンゼロのゼロ

DMMでルパンゼロがやっていますのでその話を・・・いや見てません
これ会員なんないと見れないみたいです

そんなわけでルパンがどのようにして生まれたのか?というのを現実に沿って語ってみます

はじまりはスウェーデンの列車事故です
いきなりなにを言ってるのかわからないと思いますが
我慢して聞いてください

スウェーデンで列車が衝突事故って7~9人くらい死んだんですよ
んで原因究明をするわけですが
鉄道会社もなんとか責任逃れをしたいもんだから
一番都合がいいとこで

「運転手が色盲だったんじゃね?」

って原因を作った人がいたわけです
この人はフリチオフ・ホルムグレーン博士
フリチオフ博士はここから色盲関連をバズらせていったんですが
バズりにバズって

「メガネかけてるやつって人としてダメだよね」
という世界的ムーブメントまで派生していきます

そこからメガネをかけている人は軍人になれないとか
結婚ができないとか大変ネガティブなイメージとなっていくわけです
それまではメガネって知性の象徴とされていたんだけど
一気に価値観が逆転していきました

そしてかけているのにかけてないメガネ、コンタクトレンズの誕生です
当時のコンタクトレンズはガラス製でつけてるとすぐ目が痛くなりました
なので婚活パーティーにいく女性はコンタクトレンズをつけつつ
コカイン目薬を差して出席してたのです
そのくらい痛かったって話です

後にガラスからアクリル樹脂になります
これは飛行機のパイロットが被弾して目に破片が入ったんですが
アクリル樹脂でできてて、思いのほか傷もないし痛さも軽かったので
これが目にやさしいってことがわかったきっかけでした

そしてコンタクトレンズの需要は高まり
ドイツのウイーン大学でコンタクトレンズ医師の資格を半年で学べるコースというのができます
そこにイギリスのとある医師が食いつくわけです

「半年がんばれば一生食いっぱぐれないぜひゃっほー!」

しかしそのイギリスの医師はドイツ語がわからなかったのか
コンタクト作成技能がヘタくそだったのか
2ヶ月で挫折してロンドンに帰っていきました

とはいえ医師免許はあるので眼科を開業するも
コンタクト専門医師ではないということで、鳴かずとばずで廃業

「医療の道も失敗したから小説書くわ!」

といってその人は小説を書いたわけですが
思いのほか大ヒットしたのです
その小説はシャーロックホームズ
医師の名前はコナンドイルです

シャーロックホームズは世界的に大ヒットして
なんやかんやいろいろあって出版社がおっきくなります

ところ変わってフランス
モーリス・ルブランはヒット作もでずにスランプでした
そこにシャーロックホームズというビッグウェーブがやってきて
なんやかんやあってルパンを書きました
すいません、ちょっとここは情報があいまいです

まあルパン1話を書いて、これだけで終わる予定だったんですよ
ルパン逮捕されておしまいってお話だったんです
でも思いのほか続きが見たいって人がでてたのか
「お前はフランスのコナンドイルになれ!」みたいなことを
担当編集らしき人にいわれて
モーリスルブランはそれからルパンの続きを書きます

んでルパンはシャーロックホームズと対決するんですが
コナンドイルが「なに勝手に出してんの?」ってキレて
ホームズの名前を変えて発表されました

ちなみにコナンドイルはパリに住んでたことがあって
エドムンド・ランドルトさんって人と親友で一緒に住んでました
ランドルト環、視力検査のCを発明した人です

まあシャーロックホームズがあるからルパンが生まれたというのは
多少むりにこじつけてますが、まあまあありえる話かと思います

そんなわけで最初のやらかしはフリチオフ博士の色盲からはじまっているわけです、すべてのはじまりはここからなんです

このやらかしがなければもしかしたらコンタクトレンズもなかったかもしれませんし、ルパンもホームズも、名探偵コナンも生まれていなかったのです
もちろんルパン三世も

これがルパンゼロのゼロです
こんだけやっておいてルパンゼロ見れてません

モンキー先生が原作で描いたものってのがあるんですが
大河内一楼が現代風にアレンジしてあるんだろうなと思います

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