アニメ『メガロボクス』(2018)感想

要約:シリーズ構成とその脚本は作劇のお手本のようによくできているが、ギアの設定と試合模様の圧倒的な練りこみ不足が実に惜しい作品。

◆ネタバレありについて

 本文は劇場、DVD、ストリーミングサービス問わず、鑑賞したアニメの感想を内容に踏み込みながら述べた文章である。
 ネタバレなしで感想を書きたいとも思ったが、結局内容と密接に関係しており、感想を読めばどうしたって作品のおぼろげな輪郭は見えてしまう。
 そうした「雰囲気的なネタばらし感」も含めて「ネタバレあり」で取り扱っている。


◆プロローグ

 近未来のある都市。ここではIDを持つ市民と、持たない貧民とに分けられていた。主人公ジャンクドッグは、貧民街の地下闘技場のメガロボクス選手だが、強すぎるため、セコンド兼プロモーターの南部には八百長試合の負け役としてブックを組まされ、鬱屈した日々を送っていた。

 体に「ギア」とよばれる機械を取り付けたボクシング「メガロボクス」。この世界大会「メガロニア」が3か月後に開催されることになった。主催者子飼いのメガロボクサー「勇利」と偶然出会ったジャンクドッグは、相手を挑発しておきながら、自分の庭である地下闘技場で叩きのめされてしまった。
 再戦を誓ってメガロニアへの出場を決意したジャンクドッグ。しかし彼にはIDがない。市民となるすべもなければ、市民で構成されたメガロボクスのプロランキングもない。

 彼の、勇利と決勝でまみえるための、そして勇利へ勝利するための厳しい戦いが始まった。

◆続きが気になる脚本

 本作は『あしたのジョー』連載開始50周年記念のため製作されたため、当然ながらこれを下敷きとしている。
 ジャンクドッグはジョー、南部贋作は丹下段平、勇利は力石徹、白都ゆき子は白木葉子である。

 ところどころに『あしたのジョー』のオマージュが見られるが、自分は未読、未視聴のためどこまでオマージュしているのかはわからない。

 それはおいても単体の作品として脚本自体はよくできており、シリーズ構成と相まって手ごたえのある物語であったといえるだろう。

 というのも、毎回様々な形で主人公を取り巻く障害と克服が描かれ、常に「次が気になる」シリーズだったからだ。あの手この手で彼を阻む壁がせまり、あの手この手で乗り越えていく。障害は試合の強敵ばかりではない。貧民と市民の間の溝や、南部が抱えている借金のような、主人公には直接関係のないことも行く手を次々と阻んでいくのだ。そしてしっかりと克服し、主人公は目的に近づいていく。
 こうした浮き沈みが非常によく練ってあり、飽きさせない。続きが気になる脚本であって、ここは文句のつけようがなかった。

 それだけに、早くから気になって仕方なく、残念で不満が残ったのが、設定と試合運びの描写であった。

◆試合、設定の不満

 まず、試合。

 お粗末だ、お粗末。
 せっかくここまでうまく運んできた脚本を根底から覆す最悪の最終回。ふざけろ。

『はじめの一歩』みたいにしろとは言わないが、試合の描写が物足りなすぎる。せっかくレバーブローを打ち込んだりしてパンチそのものはきちんと作画しているにもかかわらず、メガロニアの各試合がおざなりすぎる。
 とくに最終回の勇利との対戦はわけが分からん。このために物語は、あれだけの紆余曲折を経てきたんだろう? にもかかわらずぼんやりとした試合で、なおかつテロップで示される試合の勝敗。
 肩透かしの上に拍子抜けだ。

 ジョーがこの物語でもっとも実現したかったのは勇利に勝つことであって、勇利とメガロニアのリングに一緒に立つことではない。
 様々な戦いが主人公やライバルの身の上に起こった結果「勝敗はもはや関係なくなった」のであればわざわざ最後に暗転したテロップで試合の結果を知らせる必要はない。そんな風に知らせるのだったらきちんと試合を見せろ。

 むしろ主人公がランキングを争ったアラガキや樹生との戦いのほうが見どころがあったくらいだ。試合として最も盛り上がらない決勝戦ってなんなんだ、おい。

 次に、設定。

 ザルだ、ザル。
 どういう設定だこのメガロボクスってのは。

 ボクシングが何ゆえに体重別に細かく階級があるのかわかってるのか?
 それに、ギアのレギュレーションもよくわからない。というより物語を眺める限り、レギュレーションはなく、何でもありだ。
 もう少し正確にいえば、キャラクターの性格を直喩で表現する役目しか背負っていない。

 つまり主人公でいえば、金がないからぼろいギアしかない、ギアをなくせば背負うものは何もないという裸一貫であることを示している。途中でギアを付けた意味は全く分からないが…。
 樹生でいえば、AI搭載のギアによって、彼のアイデンティティの不在を示している。
 勇利でいえば、力石の苦しみを再現するための装置、そしてすべてをささげてきたゆき子との決別を示している。

 アラガキ戦まではギアの性質に関するセリフが散見され、メガロボクスというこのスポーツがわりとしっかり骨格を保ち続けていた気がするのだが、樹生戦から登場人物の設定=ギアになってしまった。

「チーム番外地」に対する物語の練りこみが非常によく検討されてきたのに、本作の核心となる「ギア」と「メガロボクス」という舞台設定が全く検討不足である。
 決勝戦においてギアを捨て去る流れはあながち悪いとも言い切れないのだが、じゃあ「メガロボクス」って一体どんなスポーツなのだ? ギアとはいったい何だったの?
 タイトルにまでなっている舞台設定を捨て去るという大胆すぎるコンテは、あってもいいのだ。なくはない。しかし試合描写に説得力がなさ過ぎるから、視聴者の共感は呼びにくい。なにしろその決勝の模様もぼんやりとしたまま終わってしまうのだ…。

 本作は妙なことに、視聴者が最も盛り上がりを望んでいるはずのメガロニアを描こうとするととたんにつまらなくなってしまう。ジョーたちがメガロニアにいくために次々ぶち当たる壁を乗り越えていくこのドラマは非常に見応えがあるのに、肝心の試合はメガロニア前後を境に描かれなくなり、最大級につまらないのが決勝戦の模様という…。

 全くいただけない。

◆おわりに

 制作発表の時から見てみたいという意識はあったものの、テレビはないし配信サービスにも登録していなかったので結局ここ半月でようやく見ることになった、

 みて損はないとは思った。が、どうにも最終回が納得いかないコンテだった。それまでの脚本は悪くないし、時々飛び出すあしたのジョーへのオマージュも「おお!」と思ったし、声優陣は安心して聴ける人たちばかりだったしで、第1回からずっと設定以外にあまり文句はなかったのだが、最終回でがっくり来てしまった。
 再見しようという気はあんまり起こらないものの、脚本の勉強はできるように思う。何しろ話だけなら非常に起伏に富んで面白いからだ。

 音楽に関してもあまり不満はない。というより全く印象に残っていない。OP、EDともかなり不満があるような意見が散見されたが、そこまで嫌うほどではないと思う。ただ、EDは最初水曜日のカンパネラかと思ったw

『メガロボクス2』が発表となった。が、どうにも食指が動かない。なにしろギアを捨てた生身の戦いが最終回の決勝戦だった。続編なんて作りようもない気さえする。それでも作るというのなら、せめて『はじめの一歩』ほどでなくていいから、もうちょっと試合自体を濃く描写してほしい。それと、ギアのレギュレーションや設定をもっとしっかり検討しきってほしい。せっかくシリーズ構成が良くできているのだからできないはずがない。それができればもっとものすごいアニメになるだろう。

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