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忖度しない私が出来るまで①

日本の伝統的な人間関係というのは
しがらみや建前に溢れていて
なんともストレスフルです。

「上司だから結婚式に呼ばないといけない」
とか
「バレンタインだから職場の人に
 チョコを配らないといけない」
とか
「正月だから姪っ子に
  お年玉をあげないといけない」
とか。

私自身はこれこそ
日本人の自殺率の多さのひとつの要因と
なっているように感じます。

「お年玉ぐらいで自殺するか?」
と思うでしょうが
「want」ではなく「should」で
行動する人というのは
何をするにしても幸福度が低いと思うのです。

ただたくさんの「should」
つまり「〜すべき」に縛られている人は
多角的に物事を捉えることが出来ず
気がつけば自分が本当は何がしたいのか
わからなくなったり
何に対しても幸福を感じられなくなっていきます。

私自身がまさにそうで
貧乏な田舎暮らしから一人暮らしして外の世界へ
飛び立てたその時から
徐々に自分の中のバイアスを取り除いて
いきました。

そういった意味では
本当の私というのは
18歳の時に生まれたのだと思います。

私はそれ以前も
自分との対話が好きなこどもでしたが
たくさんのノイズに惑わされて
いつもテンパっていました。

一人暮らしをしだして10年
だいぶ自分の中のバイアスがなくなりかけて
いたころに
さらにそれを加速させる出来事がありました。

ずっと接客業だったこともあり
いつも周りの顔色を伺ってばかりいた私に
全くといって逆のタイプの上司の下で
働くことになったのです。

1社目がブラック企業で
根性論を叩き込まれ
2社目の今の会社も
「ガンガンやるぞー」みたいな掛け声で
明るく声出しをしましょうみたいな風潮
だったため
私は会社とはそういうもんだと思って
毎日空元気を出していました。

スタミナもないしメンタルも不安定なので
しんどい時もあったのに
私はそう「すべき」と思って
初対面の人ともニコニコ接していました。

ただ時々その反動がきて
心身共に限界を迎えることがあったのです。

その上司は私のその常識をぶち壊すくらい
無愛想でそっけなかったのです。

最初はその上司に対して
同じような感じで歩み寄りました。
誕生日の時はサプライズでケーキを買ったり
しましたが
「そういうのいいから」
と帰られたりしていました。

そんな感じで折り合いのつかない上司に対して
私はイライラを募らせてしまい
ついに円形脱毛ができるほどの事態となりました。

つづく

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