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Y世代と言われる私たちは不遇なのか

アラサーからアラフォーの
「失われた30年」を丸々生きていた
私たちの世代は
しばしばY世代と言われますが

日本の高度経済成長から
バブル期までを生きたX世代や

これからの時代を担う
スマホネイティブのZ世代に比べて

なんだか上の世代が目の上のたんこぶで
今も知るバー民主主義と言われるくらい
日本の世界に影響を色濃く残している
X世代に抑圧され

ようやく発言権を持ってきた30代になると
時代が急速に変わり
新しい価値観を受け入れることが正義」と
いう風潮になりつつある中で

学校の授業の内容もどんどん
アップデートされて
親にわからない知識を
こどもが得るようになっていき

なんだかこうやって見てみると
間に挟まれたY世代は
なんというか割を食っているというか
不遇な世代のようにすら
思えてきます。

ですがそれはあくまで
世界経済とか日本社会に関しての
風潮であり
それが必ずしも
個人の幸福レベルに影響するとは
限りません。

実はこういう書き方をすると
なんだか損ばかりなY世代のようですが

Y世代のど真ん中にいる私個人としては
この数年で精神的な充実度は
かなり向上しています。

思い返してみると
Y世代のこども時代にあたる
1900年代に関しては
今から考えると
謎の固定概念にがんじがらめでした。

「サザエさん」とか「ちびまるこちゃん」
とか「くれよんしんちゃん」とか
頭の片隅で
「前時代の家庭の姿」とわかっているものの
そういった家庭や幸せの形の
テンプレートを
あたかも定番かのように
押し付けられていました。

「サザエさん」なんて
週に2日も放映されていたのです。

今思うと一種の洗脳にすら感じます。笑

今だからこそ
「あのアニメは昭和初期を描いた
 フィクション」だと
割り切ってみんな見ているところがありますが
平成初期には今ほど
多様性」という概念は
重要視されていませんでしたので
強迫観念的な「普通」に押しつぶされ

「普通」ではない変わったこどもで

「こども」なのに
寒がりで体を動かすのが苦手で

まだ「こども」なのに
慢性腎炎でドクターストップがかかり

当時まだ珍しかった親の離婚で
「普通」でない家庭になり

みんなが悪気なく求めてくる「普通」が
私にとって達成が難しく
「普通」であることに
異常に執着するように成長しました。

その結果
学校の成績も仕事の業績も
「平均より上」を取ることが出来れば
満足してそこから目立たないように
無意識に力を押さえるようになり

30を過ぎた頃には
「THE普通の人間」になってしまいました。笑

ただそんな中で
前時代的な「普通」を押し付ける風潮に
どんどんメスが入っていったので
私自身はこどもの頃に比べると
かなり精神的には楽に感じています。

経済的に発展していた時は
ひとつの正解に向かって行った方が
ベクトルも集約されて
力が出やすかったのですが
その後は騙し騙しやっていた
そのロールモデルに次々と
綻びが生じました。

私たちが生まれる頃には
とっくに経済発展は下降に向かっていたので
それを騙し騙しやってきたのが
最近よく聞く
「失われた30年」というやつです。

そんな中で
SDGsじゃないですが
経済が下降する中で
 いかに個人の幸福レベルを上げるか

にフォーカスを当ててきたのが
逆にその「失われた30年」の
功績だとも感じています。

今私たちの生活は
お金がなくとも
工夫と考え方次第で
どうにでも楽しくできるようになっています。

経済レベルと幸福レベルが
直結する人は未だに多くいるものの
そうではない人もたくさん
生み出せたのもこの時代の
功績と言えるのです。

むしろいつまでも
幸福レベルと経済レベルを
直結させていても
良くはならないのですから
今後はいかにして完全に切り離して

自分なりの幸せを
追求していくかが鍵になります。

そういう意味では
テンプレートの「普通」に縛られて
息苦しさを感じていた
私のような人たちにとっては
貧しくとも
幸福レベルは今の方が高いと感じられるの
かもしれません。

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