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恨みにも似た負けん気

私は言葉尻の強さや
強気の態度などで
人から指摘を受けることが
今でも時々あります。

社歴が長く
目立ったミスはしないので
普段は指摘されることは
かなり減っているのですが
今もあるとすれば
そういったことです。

これはプライベートでもありがちで
よく自分の正義に反したことに関して
強く抗議を示してしまうことが
あるのです。

正義というのは時に厄介で
自分の中で筋が通っていたならば
なかなか自分で非を認めることが
出来ません。

少し時間が経ってからでないと
極端だった自分に
指摘されても気付けないのです。

その時は「何が悪いの?」
と正義か悪かの
二項対立でしか
物事を考えられなくなってしまいます。

おそらくこういった思考の偏りや
考え方の凸凹などは
大なり小なりみんなあるのでしょうが

頑固になりすぎて
時に攻撃的になってしまう私は
YouTubeで目にする
DaiGoさんや
堀江貴文に時に
似たものを感じてしまうことが
あります。

彼らの偉業と私との差は
ひとまず置いておいて(笑)

憧れる偉人というのは
必ず自分の中で
少しばかりの親近感を
感じられる部分があるから
完全に別の世界の人間と思えずに
好きになるものだと思うのです。

掘り返すのもなんですが
DaiGoさんや堀江貴文さんは
何度かその強い発言で
炎上騒ぎになっていますよね。

彼らの中にある
メルトクラシー的なマインドは
彼らをここまで成長させる
原動力になったことは
間違いないものの

一般論に当てはめると
「厳しい」とか「弱者に優しくない」
とかいうような印象を受けます。

ただそれなしでは
ここまで辿り着けなかったということが
私はなぜだか
非常〜に理解できるのです。

堀江貴文さんならば
田舎の生まれで
のしあがっていくために
必要だった力

DaiGoさんならば
自分をいじめていた人を
見返すために
必要だった力

二人とも不遇な環境の中で
「なにくそ」と思う気持ちが
ここまで彼らを向上させたのです。

彼らほどではないものの
私も変なこどもと言われ
空気読めないこどもと言われ
スクールカーストの下位から
なんとか
「コミュ障だと言われてたまるか」
という気持ちを持って
あえて一番向いていないと思われる
接客業に飛び込んで
数字で結果を出すということを
してきました。

ビリギャルじゃないですが
人よりもポテンシャルが思っていたのを
自覚していたため
人並みの努力では
そこまで行かないことは
わかっていました。

そんな私はよく人から
「ストイック」だと言われました。

横並び精神では
道を切り拓けない

という思いで
やってきた
という気持ちを持っているところが
なんだか似ているなぁと
感じてしまったのです。

ただその激しい気持ちを
同じ温度で人に向けてしまうと
「当たりのきつい人」に
なってしまったり
言葉の節々で
「絶対」だとか
かなり極端なことを
言ってしまったりします。

それだけ極端じゃないと
結果は出ないと思っていることが
言葉の節々に
漏れてしまうのです。

なかなか自分に向けるその
ストイックさを
切り替えて
マイルドに人と接するということは
出来ていないから
こういう指摘を受けるわけですが

逆に物腰の柔らかい人から見て
「なんであの人はいつも
 言葉や態度がきついんだろう」
と思うような人というのは

実は今までの人生に於いて
恨みにも似た負けん気が必要となったり
人より強く生きないといけなかった
出来事が
裏に潜んでいるのかもしれないと
思ってもいいかもしれません。


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