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本に感情移入しすぎてノイローゼになった話〜ゼロリスク思考の罠〜


私が人生で最も病んでいただろう中学時代の話です。
例のごとく転校や病気、両親の離婚など
波瀾万丈だった中学1、2年を経て
よくやく落ち着いてきたかと思われた3年

私は道徳の教科書の中で
自分と同じ吹奏楽部の女の子が
突然倒れて脳の病気になり
マヒが残るような話を目にしました。

私は自分の入院体験ともリンクして
すごくそれが怖かったのを覚えています。

またその時の話題作
「アルジャーノンに花束を」
でも
脳外科手術を受けて知能が高くなった
知的障害者の主人公が
また元の知能に戻っていく結末を見て
これも恐怖した記憶があります。

この時私は脳の病気について
狂ったように調べ
何の根拠も無く怯えていました。
何が怖かったかというと
健康に思えた自分もいつまた病気になり
そのような恐怖を味合わないという
保証もないことでした。

とくに脳の病気の恐ろしさは
当時の私にとって
「こんなに恐ろしい病気があるのか」
と恐怖しました。
「アルジャーノンに花束を」の主人公の
「けえかほうこく」という幼い手記と
先に述べた道徳の教科書の女の子の
震えた手で綴った手記が
なんとも生々しく私の恐怖を
掻き立てるのでした。

ただこの手の不安には
解決策がありません。
どんなに人間ドックで体を調べようと
100%健康であるという確証は
絶対に得られないからです。
なのに私はその絶対に手に入ることのない
100%の保証を誰かに言って欲しくて
親からも
「そんなこと言ったってキリがない」
と言われました。

「むしろあんたは2年前に入院までして
 色々検査して調べてもらってるんだから
 他の人なんかよりよっぽど
 保証もされてるんだからね。」

ごもっともな理屈ですが
そんなことすら当時の私にはわからず
無駄に怯えて食欲も無くしてまで
約半年間ほど実体のない恐怖に怯えました。

親はそれを今も覚えていて
当時はお祓いにまで連れて行く大事でした。
ただメンタルクリニックに連れて行く
という発想は当時の私の周りは
なかったようです。

やがて3年のクラスのメンバーに
恵まれていたこともあり
徐々にそのことを考えることは
なくなりましたが
明確に回復に向かった分岐点を覚えています。

私は一時期親戚にも心配をかけ
徹底的に悩んだことで
どこかのタイミングで気づいたのです。
「ゼロリスクということは
 この世界ではあり得ないんだ」と。
実体のない不安を完全に
解決するエビデンスは
どこにも存在しないと。

ただ気づいた後も
気持ちがついてくるのには
数ヶ月かかりましたが
幸いその時のクラスのメンバーに
恵まれていたこともあり
徐々にそのことについて
考える時間が減っていきました。

痛みを伴った経験でしたが
この時に得た学びは
コロナ禍でみんなが鬱屈とした
雰囲気の中で
とても役に立つ学びとなりました。

コロナ鬱になった方は
ひょっとしたら
ゼロリスクにこだわり過ぎるあまり
自分の不安の落とし所が
なくなったりした方も
いらっしゃったのではないでしょうか?

私たちの住む世界に
絶対安全な選択肢なんて
一つとしてありません。
だから怖いのですが
だから人生は面白いのです。

次回→コロナ禍を楽しんだ話


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