友達について

僕には友達が居る。いや、居ない人はほとんどいないと思うけれど。
話始めとしては、これが適していると思う。
僕には友達が居る。

その時その時で、しっかりと長続きする関係を構築してきた。

小学生の時にできた友達と今も交流がある。

中学生の時にできた友達とはこの間キャンプに行った。

高校の頃にできた友達も、それなりに連絡を取り合っている。

大学の時にできた友達とも、よく遊んでいた。

社会人になったり、お互いの住んでる場所が遠くて気軽に会えなかったり、色々な要因が重なって前ほどは会えなくなったけど、しばらく会わないだけで自然消滅するような関係で終わってない友達は、少ないけど居る。

今までの人生、それほど友達という関係に執着したことはなかった。

でも居る。気が付いたら周りに一人か二人はそういう人が居た。

ありがたい話。

あ、これから凄い良い話をするのでいいねとフォローの準備をしてくれ。

当時はこれが普通だと思ってた。生活の場が変わっても連絡を取り合って、休みの日に会って飯を食ったりゲームをしたり、買い物に行ったりする友達が居るのが普通だと思ってた。

もしかしたら普通なのかもしれないけど、これが僕にとっては、素晴らしいものだというのが分かる。

友達という存在はいなくても死ぬものではないけれど、居ると楽しい存在。

そういう存在が時間がたっても自分の周りに居る事が、純粋に嬉しい。

こういう時代だし、ネットでも、現実でもどこでも良いけど、自分と色んな意味で対等な存在というのは、色んな意味で尊いものだ。

たまに車やバイクで日本各地を行脚する大名も泡拭いてぶっ倒れるような旅をする連中が居たり、やたらドラムが上手い奴が居たり、dopeな世界に居た奴が居たり、高校の時の彼女と今も付き合ってる奴が居たり、美大行ったと思ったら教職目指す奴が居たりする。

何処にでも居るような奴から、何処にこんな奴が居るんだという奴まで。

色々居る。

そいつらとそれ以外の奴らの違いは、その時僕と出会ってるかどうかぐらいのもんで、でもその違いが友達とそれ以外の違いなのも事実で。

そういう偶然の上に自分が知らず知らずに積み重ねてきたものが友達という存在になって今近くにあるんだと思うと、昔の自分に親指を立てたくなる。

昔は特に大事にも思わなかった。いや、大事には思ってたけど、今ほどじゃなかった。居なくなるなら、ちょい寂しいけど仕方ないぐらいに思ってた。

今は、よかったら10年、20年ぐらいはまだ一緒に遊びたいと思ってる。

心境の変化というやつ。だからといって何かが変わるわけではなくて、総走行距離3000㎞の旅を五日間で下道で行うとか言われれば絶交する方法を模索するけど。

でもまぁ良ければこれからも一緒に遊んで欲しい。

子供で居られなくなったら中々会えないが、隙あらば飯ぐらいは行きたい。

僕は自分が思ってた以上に友達の事が好きだったみたい、という話でした。

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