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自分自身を知ること

最近、親に愛されて育った人に初めて出会いました。いつも見返りのない愛情を子供に注いで育てる大人。フィクションの中ではまあまあ登場するので、恐らく実際にもいるんだろうとは感じてはいましたが実際自分が話す人間がそんな親に育てられたと聞くとにわかには信じられませんでした。

その人と話した後にうだうだ考え、そしてこうやって文字にして初めて、自分を愛されずに育った人間だと思っていることに気づきました。
自分自身という人間、そして自分を取り巻く環境にどれだけ不満と屈折した思いを抱いているかも。

自分は長らく社会問題に興味を持ってきました。問題に取り組む団体や活動に共感しその拡大や成功を願ってきました。将来の進路の候補にいれたことさえあります。
今日もいつものようにそういった活動が載った雑誌を読んで色々考えていた時

「こんなにも正義にあふれている人達がたくさんいるのにどうして誰も自分を助けに来てはくれないんだろう」

と思ったのです。そう感じた自分に驚きました。なんとも利己的です。誰かを救いたい、と思いながら同時に「誰か自分を救ってほしい」とずっと望んでいたのですから。

自分の内面をいかに考えてこなかったか。それを思い知らされました。
「悟ってる」「ユニーク」「鋭い」「受容力がある」周りが自分にくれた評価はそんな感じです。そしてそれをそのまま自分の考えにもしていました。
これからは自分自身で考えねばならないでしょう。

自分の個人的な感情や葛藤を外へ出さないこと。出したら他の人をわずらわせるから。迷惑をかけない人間になりなさい。大体そんなふうに親からそうしつけられてきました。(住んでいた地域や学校社会も暗黙の了解や空気の支配力が強かったので一概に親が全てとは言えませんが)
親達は多分単に子供の悩みが面倒くさかったんでしょうね。ただ自分は子供のころからその教えにならって友達にも個人的な感情を出さず、自分の感情を省みることもなく生きてきてしまいました。

というわけで自分自身の発見やこういった悩みを実際の人間関係で打ち明けるすべをまだ知りません。抵抗が強すぎるのです。しばらくはこのnoteに書いて自分自身について考えていこうと思います。
そうして自分の感情や人となりがわかれば、そして人生にある程度納得ができれば、交流する人や社会へもっと楽に接することができれるのではないかー そう考えています。

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