5月24日 バーの片隅での占い

 細かいことは覚えていないけど、たぶん夜中の1時くらい。友人2人と、初対面のひと3人の6人で、とあるバーに行った。バーに行く前に寿司屋で飲んでいて、そこで『明日、娘の運動会があるから0時には帰るわー』と言っていたA野さんも、普通に一緒にバーに来ていた。店内は青暗くて、グロテスクな映像がずっと流れていた。初めてT石さんにこのバーに連れていかれた時はその空間に酔って気持ち悪くなってしまったけど、今回は2回目だったので、このバーはある種の居心地の良さがあるのだろうと、他人事のように気づくくらいには余裕を持てていた。ちなみに、初めて連れていかれた時に私が居心地悪そうにしている顔を見てT石さんはずっと爆笑していたし、『めちゃくちゃ居心地悪かったです』と最後に伝えたら、『良かった』と、心底嬉しそうに言われた。

 30分くらいテーブル席で飲んでいたら、席を囲っていた人が一人ずつどこかへ行っては、『あそこにいる占い師の人に占ってもらった方がいいよー』と、子供の落書きのような何かが描かれたA4の紙を持って戻ってくるようになった。バーの端っこに占い師がいるらしく、1000円を払えば占ってくれるということだった。A野さんは『明日、娘の運動会があるから2時には帰るわー』と言っていた。

 同席者の2人が占いを終えた後、私も1000円を握りしめてバーの隅っこにいる占い師のところへ向かった。黒髪ショートヘアの、30代か40代くらいの女性が座っていた。ソファに横並びになるように座り、1000円を差し出しながら『占ってもらえますか?』と聞いたら、『お金は後でいいですよ』とのことだった。行き場の失った1000円を握りしめたまま、占いが始まった。

 まず彼女はA4の紙に、やはり子供の落書きのような何かを描いた。『これは何ですか?』と聞いたら、一つ一つ丁寧に応えてくれた。内容としては『あなたは、すごく芯を持っている方だけど、今は少しだけ浮ついているかもしれない。ただ、芯がしっかりしてるから、いずれは元のところに戻っていく』というようなことだった。確かに、社会人になってからぜんぜん他人と関わることなく生きていたのに、ここ1年くらいでおかしな知り合いが増えてなんだか浮かれている状態にあるのは間違いのないことなので、彼女の占いは当たっていると思った。

 絵の説明が終わった後、彼女に『私に何を聞きたいですか?』と聞かれた。占われることを予定していたわけではなかったので、特に聞きたいことは思い浮かばなかった。それよりも、こんなところで占いをしている人がどんな人か気になったので、彼女のことについて尋ねようと思った。それに、自分のことを話さずに相手のことを尋ねるという態度を取ったとしても、占いには何の支障もないだろうとも思っていた。自分のことを積極的に話すかどうかということと、占いの質は無関係であると思ったし、そうであって欲しいとすら思っていた。『自分のことよりも、あなたがどんな人か聞きたいんですけど、いいですか?』と聞いたら、『なんでもいいですよ』と言ってくれた。

 それから30分くらい、ずっと彼女について尋ねた。初対面の人に聞くのは失礼なくらいに個人史について尋ねたけれど、臆することなく赤裸々に語ってくれた。でも、彼女は占いで見えた内容も1割くらいしか人には伝えないと言っていたので、個人史の話についても、その赤裸々さがどの程度のものなのか、もちろんわからなかった。ただ私が一つだけ彼女の話の中で引っかかったのは、彼女が占いをする中で困難を感じた経験の話を聞いた時だった。彼女は、相手が女性の場合に、話を聞く難しさを感じていた時期があるという話をしてくれた。その話を聞いた時「占い師も性差の問題で躓くことがあるのか」と思った。もちろん、単純に考えれば占い師にも性別があるし、社会的な存在であるので、セックスやジェンダーに拘束されることはあるだろう。それでも私は、占い師はそういった俗的な問題とはかけ離れたところにいる形而上的な存在なんだろうな、という強い幻想をどこかで抱いていた。別にだからといって彼女の占いが信じられないと思ったわけでもなかったし、なにかに失望したわけでもなかった。ただ単純に、自分がそういったところに引っかかるという現実に、どちらかと言えば善くはない方向の感情を抱いた。

 一通り話しを聞いた後、『いろいろ聞きましたが、僕はどのように見えましたか?』と聞いてみた。『こんなにも自分のことを語りたがらない人は珍しいです。それから、なんだかちょっと、大学の先生をしている未来が見えました』と言ってくれた。そうかー、と思った。それよりも、彼女から発されている、いい匂いの方が気になっていた。『凄くいい匂いしませんか?』と聞いたら、『髪かな? 服かな?』と聞いてくれたので、『嗅いでもいいですか?』と聞くと、髪とスカーフの匂いを嗅がせてくれた。スカーフからも懐かしくていい匂いがしたけれど、私が感じていたいい匂いは髪の毛の匂いだった。『髪の毛ですね』と伝えると、『2年前にシャンプーを変えたんですけど、それから初めてそんなことを言われました。ブルーベリーの香りなんですよ』と笑ってくれ、それから、『香水もブルーベリーなんです』と、自分が使っている香水を辺りに振りかけて、その匂いを嗅がせてくれた。そんなことをしていたら、ソファの隣に、酔って無表情になったA野さんが腰かけてきた。もう2時をとっくに過ぎていたけれど、占いをしてもらいたそうな顔をしていた。『じゃあ次の人が来たので、そろそろ変わりましょうか』と占い師の方に伝えて、1000円を支払い、可笑しいくらいに勃起したままテーブル席の方へと戻った。



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