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自責・他責について考えてみた

この間、自責・他責について記事を書きました。

その記事を書いてる際にふと、
そういえばだれか他責思考から自責思考に変えて、
好転のきっかけになったとか言ってたことを思い出し、
記憶を頼りに思い出しのがこちら。



元々スポーツ観戦は全般的に好きで、
スポーツ選手の自論なんか聞くのも好きだったんですよね。
その一貫で触れた内容でした。


たぶん自責・他責って言葉を聞いて使い始めたのは
これを見てからだった気がします。

ちなみにこの間あげだ記事はこちら、


こちらはどちらかというと「自責の念に駆られてすぎないで」っていう記事で、
自責思考しすぎも注意してって感じの記事。
そんで上の鄭大世選手は自責思考にしたら好転し始めたと言う内容。

ん?これってどっちの考えが良いのかな?
なんて疑問を感じて色々書籍や動画を探してました。
そしたらある動画を見つけまして。
おそらく鄭大世選手の自責という考えはこういうことじゃないかと思います。


原因自分論


今回はこちらの動画を参考にしました。


こちらの内容を簡単説明すると、

起きた物事の原因は自分にある

一旦そういう風に認識すること。
いきなり強烈な内容やんw
いやいや、なんでも自分のせいにしないとなんですか?
ここだけ聞くと正直どうなん?って思いました。

仮にもし務めた会社がブラック企業だったとして
その責任は自分で仕事が終わらないのは
自分の能力のせいということなのか?


しかしここでもう一つ大事な概念がありました。

ここで自分が「良い」とか「悪い」とか判断はしない

この原因自分論は原因を自分と仮定して、

✔️根っこの「原因」を認識すること
✔️そしてこの問題を客観的に見ること

理不尽なことって世の中にたくさんある。
でも他人を変えることは出来ない。
他責にしてても出口がない。

だから自分を責めるという目的でなく、

✅ものの見方を変える
✅現状より選択肢を増やす

そういった新しい視点や解決策を探るための思考法。
自分を責めて追い込む思考でなく、
現状を打破するための自分から働きかけれる行動を探っていく
と言う意味合いが強いのかと思いました。


あくまで一つの思考法と捉えるべきだと思う

じゃあ、一旦すべての物事まずはこの理論当てはめて考えよう。
と鵜呑みにしてそれだけを考えるのは少し違うのかなと思いました。

その一つの例はいじめ問題なんかはこの考えに
当てはめてはいけないと思うんですよね。
この辺の捉え方は発信する上で、非常にデリケートで難しく感じました。

この考え方だけに依存するのでなく、
あくまで思考法の一つとして、
問題解決の糸口を探すための視点の切り替え、
そう言う受け取り方ぐらいがちょうどいいのかなと思いました。


本日も最後までお読みいただきありがとうございました。ではまた。



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