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白い月に歌は響く 第四章②

「どういうつもりなんですか? あんな約束するなんて」

 バックミラーに黒沢の姿が見えなくなってからアリサは谷本を睨んだ。彼は鼻で笑う。

「さっきも言ったが、森田はあの実験に絡んでた。そして、それを調べようとしてた俺の事を警戒してる。お前は昨日のメールで信用がなくなっただろうから、今日にでも新しい監視がつくかもしれねえ。俺らがあそこに行ったことはもう森田に知られているが、その理由まではバレてないはずだ。もし俺たちがミライの歌を調べてたと知ったら、あいつらもミライを探すだろ。そして向こうが先に彼女を見つけたら、完全に俺たちは捜査できなくなる。だから警察に通報しない方が都合いいんだよ」
「そうかもしれませんけど、わたしたち二人だけで見つけるなんて無理ですよ。情報もないのに」
「今の世の中には便利なもんがあるじゃないか。お前も得意だろ」
「……ボード、ですか?」

 谷本はその通り、というように人差し指をアリサに向けた。

「谷本さん。言っときますけどわたしは端末操作の成績はずっと中の中だったんです。つまり普通。わたしに出来ることは一般に公開されている、誰でも見られるページに入って検索したりとか基本的な事だけなんですよ。これっぽっちの能力では何も情報は集まりません」
「ハッキングとかできないのか?」

 アリサは目を丸くした。何を言っているのだ、この人は。仮にも警察官がハッキングをしろというのか。彼は平然と運転を続けながら「できないのか?」と繰り返す。

「本気なんですか……?」

 アリサは深くため息をついた。なぜ自分はこんな面倒な事に首を突っ込んでいるのだろうか。もともと自分には何も関係のないことだ。いっそのこと、もう自分には関係ないと言って帰ってやろうか。そう思ってみるものの、ここまで首を突っ込んでおきながら気にならないといえばそれは嘘になる。好奇心に任せるとロクなことがないと、あれほど言われていたのに。
 後悔の渦に呑まれながら谷本を見つめていると、彼は怪訝そうに眉を寄せて口を開いた。

「どっちだよ? できるのか、できないのか」

 アリサは眉を寄せ、もう一度ため息をついた。

「……少しなら、できますけど」
「よし!」

 谷本は笑みを浮かべて車を停めた。外を見ると、そこは寂しい雰囲気が漂う海辺だった。

「どこですか? ここ」

 尋ねながら車を降りる。辺りに建物は何もない。あるのは使われなくなって捨てられた不法投棄のボートが数隻だけだ。

「ここなら他に誰か来たらすぐにわかるだろう。さあ、心置きなくハッキングしてくれ」
「……わたしたちがすごく目立ってますけど」
「いいんだよ。要は誰も近づいてこなきゃ。さ、さっさと始めろ」

 不満を抱きながらもアリサはボードを開いた。

「でも、何から調べたら」
「彼女の足取りがつかめそうなもんだ。あー、そうだな。大通りとかに設置してある監視カメラの映像とか」
「一体どこのですか。あの周辺の監視カメラだけでも百台近いんですよ? 全部見てたら日が暮れます。それに、あまり長い時間侵入してると見つかってしまいますし」
「だったら、他に何かないのかよ」

 アリサは少し考えてキーを叩き始めた。

「とりあえず彼女の端末ナンバーが分かってますから、GPSが使えるかもしれません」
「GPS? 使えんのか」
「ええ。本来は情報管理局の限られた人にしか他人のボードの位置を検索することはできないんですけど。ここのガード、じつはそんなに固くないのでいけると思います」
「ふーん。よくわからんが、頼むぜ」

 言われなくともすでにアリサは侵入を開始していた。思ったとおり、位置情報を管理しているサーバーのガードシステムは旧式のものを使っているようだ。なんとか侵入に成功したアリサはミライの端末ナンバーを入力する。

「そういえばよく知ってたな。あの子の端末ナンバー」
「彼女に登録データを見せてもらったとき一緒に表示されてたじゃないですか。あれを覚えてただけです」
「そうだっけか?」

 谷本はそんなところまで見ていないのだろう。端末の知識があまりないのだから仕方ないかもしれない。そう思っているとボードのモニターにエラーの文字が表示された。そのナンバーで登録されている端末はないという。番号を打ち間違えたのかと思い、もう一度入力してみるがやはり結果は同じだった。

「どうした?」

 アリサの様子が気になったのか谷本がモニターを覗き込んできた。

「ミライの端末ナンバーが登録されてないんです」
「おまえ、番号間違えて覚えてたんじゃないのか」
「そんなはずは……。あっ!」

 突然、ボードから警告音が鳴り始めた。アリサは慌ててキーを叩いてサーバーとの接続を切る。

「どうしたんだ? なんだ、今の」
「――見つかりました」
「見つかったって、ハッキングが? まずいのか」
「いえ。たぶん大丈夫だと思います。一応公衆回線を使用しましたし、すぐ切りましたから」
「そうか。……しかし登録されてないってのはどういう事なんだろうな?」

 国民がボードを所有する際、そのナンバーを情報管理局に登録する義務がある。逆を言えば登録をしない限り、ボードを持つことはできないのだ。しかしミライのナンバーは存在しない。

「一体どういうことなんでしょう。あ、そういえば彼女のアドレスと通信番号がわかってますから、直接彼女の端末に入ることができるかも」
「なんだよ。そんなことできるんなら最初からしとけよ」
「……谷本さん。言っときますけど、これ、犯罪ですからね。もしバレて問題になっても、わたしは谷本さんに脅されてやったって言いますよ」
「大丈夫。絶対見つからねえって。まあ、もし見つかってもクビになるだけだから安心しろ。次の職の世話ぐらいしてやる」

 谷本は冗談混じりに言いながらアリサの肩を叩いて笑った。アリサは深くため息をついてボードに向かう。

 最近ため息ばかりついている気がする。

 そう思いながらキーボードを叩き続ける。しばらくしてアリサは妙な違和感を覚えた。簡単に侵入できるかと思っていたが、いくらアクセスしても一向に入れる気配がない。

「誰かに邪魔されてるのかも……」
「邪魔?」

 谷本がアリサの呟きにすばやく反応した。

「ええ。これはガードがどうとかいうよりも、誰かに故意に邪魔されてるみたいです」
「なんでわかるんだ」
「最初はすんなり入りかけてたんですがいきなり追い出されて。それからずっと動けないんです。ガードシステムのように見せかけてますけど、これは……」
「侵入を拒否する者か」

 谷本は腕を組んだ。

「ミライ自身がやってんのか?」
「さあ。そうとも考えられますけど――。あっ!」
「なんだ、どうした?」

 谷本がモニターを覗き込んだ。モニターには意味不明の文字の羅列が映し出されていく。

「おい! どうしたんだよ」

 しかしアリサに答える余裕はなかった。谷本もその様子に気づいたのだろう、それ以上言葉をかけることはなくアリサがすることを見守っている。
 額に汗をにじませながらキーを叩き続けること十数分。アリサは指を止めた。モニタに表示され続けていた文字の羅列は消え、ボードは通常の状態に戻っていた。

「何だったんだ? いったい」

 アリサは長く息を吐き出すと首を傾げた。

「よくわかりません。さっき、わたしの端末が逆にハッキングされてしまって。なんとか追い出そうとしたんですけど、まったく対応が追いつかなかったんです。でも、突然元に戻りました」

 谷本は頭をバリバリ掻きむしった。

「なんだってんだ? いったい」

 そのとき、アリサのボードがメールの受信を告げた。開けてみると発信元は、ミライのボードからだった。

「ミライからです」
「なに?」

 谷本は乱れた髪のままモニターに視線を向けた。

『探すな。これ以上関わるとろくなことがないと思え』

 二人は無言で顔を見合わせた。

「脅しか?」
「どうします?」

 谷本は少し考えて言った。

「探さないわけにはいかない。お前には聞きたいことがある。会って話がしたいって送ってみろ」

 アリサが返信すると直後に返事が来た。信じられない速さだ。

『お前たちに話すことなど何もない』

「ふむ……。このメール、ミライ本人が送ってるもんだと思うか?」
「わかりませんね。彼女がどういう風に話す人なのかも知りませんし、彼女がどの程度の端末操作能力を持っているのかも知りません。けど、このメールの差出人は警察を嫌ってますね」
「だな。彼女はそんな感じには見えなかったんだが……」
「で、どう返信します?」
「警察とは関係なく、個人的に聞きたいことがある。話をさせてくれ」

 また、送信してすぐに返事がきた。

『信じることはできない』

 このメールを開いた直後、急にアリサのボードが勝手に動き始めた。あらゆるデータが引き出されては消去されていく。慌ててキーを叩くがまったく反応しない。数十秒後にはすべてのデータが消され、モニターは何事もなかったかのように動作を停止した。アリサはただ呆然とその様子を見ているしかなかった。状況がよくわからない谷本は、どうしたんだと執拗にアリサに聞いてくる。

「……ボードが、初期化されました」
「初期化?」
「データが全て消されたんです。プログラムもファイルもなにもかも。一度家に戻ってインストールし直さないと何もできません」
「なんだ、そりゃ。それもミライがやったのか?」
「わかりませんけど、この状況と流れではそういうことになります。でも――」

 アリサはミライを思い出してみた。端末に侵入して一瞬のうちに保存されているデータをすべて消去するなど彼女にできるだろうか。アリサも馬鹿ではない。それなりのガードプログラムを複数入れていたのだ。しかしそれがまったく役に立たなかった。時間をかければ突破することはできるだろうが、あれほど素早く突破するなど過去のネット犯罪者でもできる者はいないのではないだろうか。

「ボードが使えないのならどうしようもないってことだな。俺のを使ってもきっと同じように消されちまうだろう」

 谷本の言葉でアリサは我に返った。

「ええ、そうですね。手掛かりも得られませんでしたし。どうします?」
「そうだな、もう一度施設に行くか。唯一ミライが心を開いていた人がいるし」
「他に心当たりもないですしね」

 諦め気味にため息をついた二人は、再びピースホープセンターへ向かった。

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