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白い月に歌は響く 第四章①

 アリサは谷本の車でミライの住むビルへ向かっていた。昨日、あれから会いに行こうとしたのだが、黒沢の都合がつかないということで今日会うことになったのだ。

「あれから課長からのメールは?」
「ありません」
「そうか。まあ、今朝のニュースを見ればお前が送った阿呆なメールに反応する暇はないよな」

 谷本は缶コーヒーを飲みながら言った。今朝のニュース。それは、警察官僚の一人が何者かに殺害されたというものだ。

「けど、あれは本庁の特別捜査課の管轄ですから課長は関係ないのでは」

 谷本はもう一口、コーヒーを飲んでから「実はな――」と真剣な顔でアリサを見た。

「あの課長、今はあんなやる気のない感じなんだが昔はキャリア組の出世コースに乗ってたんだ」
「そうなんですか?」

 それは初耳だ。もっとも、アリサは今まで他人に対してまったく興味がなかったので、自分以外のことはまるで知らないのだが。

「十数年前、あるプロジェクトに関わっていた森田は、そのプロジェクト失敗の責任をとらされて格下げになったんだ」
「プロジェクトって警察のですか?」
「ああ……。例の実験だよ」
「え?」
「俺な、あの爆発事故と今回の事件がつながってるかもしれないと気づいてから、退職した先輩と連絡をとろうとしてたんだ。ずっとつながらなかったんだが、昨日ようやく本人と連絡がとれた。そんで世間話を絡めながら、あの施設のことを聞いてみた。最初は答えるのを渋ってたんだが、しつこく食い下がったら教えてくれたよ」

 谷本はわずかに顔をしかめた。

「たしかにあの施設では人工授精の実験が行われていたらしい。実験に使われた卵子と精子の提供者が警察関係者だったんだとさ。もちろん警備や、秘密保持のための政策なども警察が中心になっていたらしい」
「実験を行っていた科学者とかは警察関係ではないんですか?」
「科学者たちは国が選出した奴らだったそうだ」
「そうですか。そのことをあの被害者は調べていたんですね。違法な実験施設を警察が擁護していたから」
「そうだろうが、それだけとは思えんな。そもそも違法な実験を行っていたのは国だぞ。追及すべきは政府のはずだ。だが、あの男は警察を相手にしようとしてた。きっと、俺たちが知らないことがまだあるのさ」
「その先輩は他に何か言ってなかったんですか?」
「ああ。あの人はそのプロジェクトに関わってはいなかったらしいからな。今話したことも当時の同僚にこっそり教えてもらった情報なんだとさ。だが偶然か必然か、その口の軽い同僚ってのが昨日殺された警察官僚なんだよ」
「そうなんですか……」

 違法な実験を暴こうとしていたジャーナリストが殺され、その実験に関わっていた人物が殺された。偶然にしてはタイミングが良すぎる気がする。アリサが考えている間も、谷本は話し続ける。

「まあ、そういうわけで今回の事件の捜査に森田が何か関わりを持つ可能性が高い。ついでに言うと、あいつはそれなりに頭が切れるから下手な嘘は通じない。だから昨日のお前のふざけたメールを信じたとは思えん」
「いえ。あれは真実味のあるリアルなメールだと思います」

 強い口調でアリサが言い返すと谷本は苦笑を返した。

「お前、基本的に朝は機嫌が悪いな。コーヒーでも飲めば気分もスッキリするぞ」
「結構です」

 そのとき谷本のボードが鳴った。着信のようだ。谷本は片手でハンドルを操りながらもう一方の手でボードをアリサに渡した。

「悪い。出てくれ」

 通話回線をオンにするとモニターいっぱいに黒沢の顔が映し出された。アリサは思わずモニターから顔を遠ざける。しかし黒沢はそんなアリサの反応を全く気にした様子を見せず「谷本っていう刑事は?」と聞いてきた。

「隣で聞いてるよ。今、運転中でな。どうした。声がうわずってるぞ」

 確かに黒沢の様子は少しおかしかった。目はせわしなく動き回り、顔色も血の気が引いて真っ青だ。彼は「大変なんだ。ああ、どうしよう。どうしたら」と泣きそうな表情でオロオロしている。

「だから何が大変なんだよ。話してくれなきゃわかんねえだろうが」

 谷本の声に、ようやく黒沢は早口で話し始めた。

「さっきミライの部屋へ行ったらドアが開いてたんだ。部屋にもビルにも彼女がいない」
「はあ? どっかに散歩でも行ったんだろ。大騒ぎするような事じゃ――」
「ミライは今まで一度も外に出た事がなかったんですよ!」

 黒沢は谷本の言葉を遮った。そういえば昨日もそんな事を言っていた。谷本はもっと詳しく話を聞こうとしたが、黒沢は興奮しているのか「ああ、大変だ」と繰り返すばかりで谷本の質問に答えない。

「あー、とにかくそっちに向かってるから、ちょっと待ってろ!」

 話にならないと思ったのだろう。谷本はそう怒鳴りつけると強制的に通信を切るようアリサに指示した。

「どういうことでしょうね?」
「さあな。とにかく行ってみよう」

 谷本はアクセルを踏み込んだ。明らかにスピード違反だったが黙認する事にした。

 事務所につくと、入口で黒沢がグルグル歩きまわりながら待っていた。彼は谷本の車を見つけるとすごい勢いで走ってくる。

「どうしたんだよ、一体」

 谷本が聞くと「どうしたも何も、さっき言った通りですよ」と頭をバリバリ掻きながら黒沢はさっきと同じ説明を繰り返した。

「彼女に連絡はとれないんですか?」

 黒沢は険しい顔をアリサに向けると首を横に振った。

「ボードも失くなってるので持っていってるとは思うんですけど、何度連絡しても出ないんですよ。メールも返信がこないし」
「おい、島本。お前も確認してみろ」

 谷本の言葉にアリサは頷き、ボードを開いた。

「すみません。彼女のアドレスと通信番号教えてもらえますか」
 するとあらかじめ用意していたのだろう、黒沢はメモ用紙をアリサに渡した。そこに書かれてある番号を入力し、まずは音声通信を試みる。しかしつながる気配はない。次にメールを送信したが、五分待っても返信はなかった。

「だめですね。メールは気づいていないだけとも考えられますが……」

 アリサが言うと谷本は考えるように黒沢へ顔を向けた。

「何時頃出て行ったかわかるか?」
「彼女が出て行く姿がカメラに映っていました。時刻は昨夜十時頃です」

 今は午前九時四十分。まもなく十二時間が経つ。

「散歩ってわけじゃなさそうですね」
「だな。そのカメラの映像から彼女に何か変わった様子とかは?」
「……いえ、何も」

 黒沢は首を振った。

「わたしたち以外にそのことを通報しましたか? ……つまり、警察には?」
「いえ。彼女の正体をバラすわけにはいきませんし。だからわざわざあなた達に直接連絡したんじゃないですか」
「そんな事言ってる場合じゃないですよ。早く警察に連絡を」
「絶対ダメです!」
 頑として聞き入れない黒沢を見て、アリサは自分のボードを開こうとした。しかしその手は谷本に押さえられた。

「なんですか?」

 谷本は「いいから」とアリサの手を下ろさせる。

「じゃあ、俺たちに彼女を見つけろって事だな? ほかの誰にも頼らず」

 黒沢は頷く。

「だったら約束しろ。もし他の警察の奴らが来ても決して俺たちのことは言わないと。一度事務所に見学に来たことはあるが、その一日しか会っていないと口裏を合わせろ。 約束してくれるのなら、俺たちも二人だけで彼女を探す」

 黒沢は少し考えてからこくりと頷いた。

「わかりました。約束します」

「ようし」と谷本は笑みを浮かべた。

「取引成立。俺たちは彼女を探す。見つかったらちゃんとあんたに連絡する。あんたは今の約束をきちんと守ってくれ。たとえどんな聞き方をされようともだ。いいな?」

 黒沢は力強く、そして神妙な顔で頷いた。

「よし。島本、行くぞ」

 アリサは促されて車に乗り込む。ミラー越しに後ろを見ると、黒沢が、その姿が見えなくなるまでずっとアリサたちを見送っていた。

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