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神様ではなく人に頼るようになってきたような#21

この1ヶ月で9箇所も神社に行っていた。

神に祈るしかない、みたいなことをどこかで思っていたのかもしれない。ただ、神社という空間が好きなだけかもしれない。

都内の神社で良さそうなところを探して、ピンとくるところにいく。神聖な空気を感じながらゆったりとした時間を過ごす。それがちょっとした楽しみであり、癒しでもあった。

何を祈っていたのだろうか。何を宣言していたのだろうか。

宗教上においての本来の意味は「宣言すること」または「感謝すること」と言われています。
日本語の「いのり」の語源は「生きる(い)ことを宣べる(のり)」つまり、自分の行動を宣言することなのです。(上記より引用)

思い返してみると、おそらく「自分とともに生きること」だと思う。あとは、恥ずかしげもなく出してみると「幸せになりたいな〜」って笑

ところで幸せとはなんでしょうか?「喜び」が関わってきそうな感じはする。

1ヶ月のうちに、神聖な場所で9回も(近くの神社はほぼ毎日のように行っていた)宣言していたせいか、現実的なことをみるようになってきている気がする。以前に比べて仕事に対するストレスが減った。仕事量は全く変わっていないのに。むしろ増えてる感じすらある。

仕事に対する捉え方が変わったのが大きい。これまでは「何で自分が?」だったものが「仕事くださってあざす。もうほんと楽させていただいてます、喜んで!」みたいな。

こう書くと、何だか違ったニュアンスも感じるような…。

そういえば、自分を感じれば感じるほど人と関わる能力の高まりを感じる。

気づけば神頼みではなく、人を適切に頼れられるようになっている。

これを続けていった先には、きっと今僕が抱えている、大きな大きな愛を余すところなく、出せる場所が生まれる、現れる気がする。

磨いていきたい、この感じ。

2021.10.21.21:28

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