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結局ひとりでいることを望んじゃいない#14
ひとりを感じるここ数日だけど、全くひとりではないことに気がつく。
仕事があること。仕事以外の話す場所があること。話す相手がいること。SNSで他人の投稿を見ること。外を出歩けば生きている人を見かけること。
挙げ出したらキリがない。
そして、noteでは「あなたへのおすすめ」と称して自分が興味を持ちそうなものをピックアップしてくる。そこには、大体今の自分が考えていることと同じようなことが書かれている。
まるで「あなたはひとりではないよ」と言わんばかりに。
そもそもこうしてネットの世界でどこかの誰かの発信を眺めることによって誰かわからないけれども確かな生きた痕跡を見ているのだから、ひとりになんかなれるわけないのだ。見るというつながりがそこにはある。
しばらくひとりで生きよう、と思っていたけど奥底にある願いは、やっぱり人とともに生きていきたいらしい。
どうやったら人とともに生きられるのか。
人とともに生きるとはどういうことか。
こういうことを考え出すと結局は、自分とともに生きられるか、自分とともに生きるとは、というものに帰着される。人とともに生きたいという願いを感じているうちに、目の前にあるそれらの問いに仮置きの答えを早く見つけたいと思う。
ここまで書いてやっと気づく。その答えがない状態を作っているのは自分自身だと。全てを解決してくれる答えがあるという幻想を抱いていたのではないかと。
今が今の最善なんだということにどうして気がつかなかったのかだろう。ある人の言葉を借りれば「今の現実は魂の計画通りだから」だ。
今を生きるを感じる、ただそれだけで良いのかもしれない。魂はすでに自分の望みや願いを叶えている。あとはそれに純度高く準ずるだけだ。
意識して頑張るのは、こうやって何を考えたかの一部を書き残すことだけだろう。
2021.10.17.10:28
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