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どう生きたいかは自分で決められる#16

なーんて類の言葉は目が痛くなるほど、この世に溢れている。

そんなことはわかっているよ。何度思ったことだろうか。

でも、今日はそんなことを頭ではなくて心で実感できた日だった。

頭(ヘッド)だけではなく心(ハート)で。心をオープンにしたい、と願ったいつかの自分が今ここにいることを感じる。

ひとりじゃないのだ。ひとりであったとしてもひとりではない。

さみしさは他の存在と繋がっているサイン。そうリフレーミングすることによって、さみしさも悪いものではないと感じるようになれた。やはり、言葉は大事。そして、誰がいうかもやっぱり大事。

そもそも、怒り、悲しみ、寂しさなどのネガティブな感情は悪いものではないのだ。必要だから残っている。それに本気でひとりで良いとしているなら、さみしさを感じていないだろう。

認知行動療法、スキーマ療法に少しずつ取り組み始めてから(もちろんたくさんの方々の支援もあってだが)、確実に変化が起こっている。

このままいけば、僕の大きな壁である自分に対する2つの信念

「自分は人を傷つける人間である」
「自分は幸せになってはならない人間である」

も変化するかもしれない。まだまだ見えない、奥底に願う自分の純粋なもの。そして、ただの幻想かもしれないもの。

そこにあろうがなかろうが、とりあえず見にいくプロセスを歩んでいる気がする。

そろそろ、読む時期が来たかもしれない。

2021.10.18.22:09

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