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自分で自分の人生を抱える練習をしている感覚#31

生きていれば、誰かと関わることからは大抵の場合逃れられない。それは仕事に関係するかもしれないし、家族、友達というプライベートな関係かもしれない。あるいは、行きつけのコンビニの店員さんかもしれない。

人と関わることが逃れられないのだとすれば、どうせなら自分の好きな人や心が豊かになる人と関わっていきたいと思うのは自然なことだと思う。ある程度は選択できるのだ。

選択できるからこそ、自分が選ばれる時もあれば、選ばれない時もある。世界は自分の都合の良いようには回っていない。

都合の良いように付き合えるものがあるとするならば、きっと自分だけなのだろう。

何かを書きたかったのだが、あまりにも言葉がまとまらない。noteではなくジャーナリングにして今日は終えよう、と思うがきっとこの後言葉にしないまま寝てしまう。

あぁ、こうやって今まで自分の感情を無かったことにしてきたのかもしれない。何かと言い訳をつけて無視してきたのかもしれない。それは少し寂しい。

***

ちょっとジャーナリングしてきた。最後に出てきた悔しいという感情。この悔しさは時々出てくる。いっときのエネルギーを与えてくれる。いつまで頑張ったら、報われるのだろう。そう思っている自分もいる。

あぁ、そうか。結局同じことをずっと繰り返していたのだ。

頑張れば報われるという信念で生きていたのだ。

それは正しくもあり、間違ってもいる。世の中には報われるかもしれない頑張り方と、報われない頑張り方がある。

後者は例えば、とある数学の試験に合格したいと思うのに英語ばかりを勉強するような頑張り方だ。頑張り方を変えれば良いのだ。こんな当たり前のことに気がつくのに何年かかっているのやら。でも、こうして少しずつ自分で自分に希望を見出していくのだろう。それが、自分で自分の人生を抱える練習なのかもしれない。

じゃあ本番はいつなのか。

そうか、練習も本番の一部なのだ。人生はいつだって今が本番。

21.10.28.22:47

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