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だから、ひとりで生きるんだ#17
今日は10月19日。今の時刻は24時12分。すなわち、10月20日。
そう、満月の日。そして、僕のとっても大切な人の誕生日。といっても、今深い関わりがあるわけではないのだけど。
今日が満月であるのは、何か運命めいたものを感じてしまう。
***
本当に、僕は自分のことばかりしか考えていなくて。いわゆる自己中とか自意識過剰というやつで。それはたとえ、シェイムやスティグマ、トラウマのようなものだったとしても、やっぱり自分で。それを選んだのは自分で。
選ばざるを得なかったんだよ。
といえばそれは可哀想だったね、なのかもしれないけど、そうしないと生きていけなかったようなレベルではなかったと思う。多分。
もちろん、その時の自分は必死だった。必死に探して見つけた生存戦略。でも、やっぱりそれは自分を、大切なひとを傷つける方法だった。
でもが多い。これは反芻思考かもしれないな。と思いながらもしばらくジャーナリングかのように書いてみる。
もう、人を傷つけたくない。
ただそれだけがずっと頭の中をぐるぐる回る。だからと言って人と関わることを恐れているかというと、まぁ多少の恐れはあるものの、関わることを拒否しているわけではない。
関わることをやめたら、同じ生き方を続けることになる。単に人を傷つける機会を無くすだけで、自分に対する信念はそのままだ。つまり、同じナラティブのまま生きるのである。
それは嫌なんだ。もう、、、嫌なんだ。
今改めて思う。コーチングを学んだのは、こんな自分を変えるためだったのではないんじゃないかなと。人と関わるということを、コミュニケーションの方法を知りたかった。きっと。もう、学び始めて2年と半年も経った。少しは変わっただろうか。
その問いに関しては、大きな大きなイエスだ。たくさんの人が、自分の中に生きているのを感じる。同時に、たくさんの人がいるからこそ、自分という存在も強く感じられるようになっている。こんな感覚は生きてきて初めてかもしれない。
僕にとっての生きるというのは人と出会い、たくさんの他人を自分の中に住まわせることなのかもしれない、とふと思った。そして、そのためには、他人と自分を区別しなければならない。せっかく自分の中で生きている他人が自分なのか他人なのかわからなくなってしまう。すると、他人を求めて不本意な関わり方をする。
何度も言おう。それはもううんざりだ。
だから、決めたのだ。ひとりで生きることを。それは人と生きることの裏返しでもある気がする。ひとりで生きるからといって人と生きないわけではない。むしろ、ひとりで生きるためにも人といなければならない。二という存在があるからこそ、一を感じられる。
全ての人にありがとうを。そして、これから出会う人によろしくお願いしますを。
感謝と祈りを。
2021.10.19.24:41
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