2月23日

隣の部屋からの音漏れが酷い。
今年は薬局で済ませず、ちゃんと耳鼻科に行って花粉症の薬を貰ってきた。

こういう類の身に起こった事象を誰かに発信することが急に恥ずかしく思え、こういうツイッターの使い方をしなくなった。
これまで使っていた日常垢は備忘録として使っている。
元々そういう用途だったし。

たまにテレビ番組の感想などをツイートすることもあるが、数分ないし数十分後には削除している。
この点、Instagramのストーリーズは24時間後に勝手に消えてくれるのでかなり都合が良い。
消えるよりも先に自分で消すこともあるけれど。

あとはBondee。
もうとっくに全員飽きているのは知っている。

今は新しく作った鍵アカウントで追いたい情報の発信元だけをフォローし、そのTLを見ている。
一日に数回、元々使っていたアカウントのTLを遡ってみるのだが、いつの間にかその様を気持ち悪いと感じるようになっていた。
しばらく事務的に発信される情報だけを見ていたせいか、意思を持った人が思い思いに日常を報告したり、称賛や文句を垂れ流したりしている光景への免疫がなくなっていた。
そういえば前から、他人の人生を意識した途端に無理になることが多々あったが、その感覚を久しぶりに思い出した。

(「無理になる」という表現に便利さを感じている自分が無理すぎる)


「サウナは暑くて入ってられない」
「わざわざ高い金を出してクラフトビールを買う意味が分からない」
今まで何度も顔を合わせていた知人が、Instagramのストーリーズでこのような発言をしていた。

この知人は、私のInstagramの投稿すべてにいいねを押す。
その投稿の中には、サウナやクラフトビールの記録が含まれている。
・・・全く意味が分からない。どういうつもり?

私はこの知人の投稿やストーリーズをミュートに設定し、自分が投稿するストーリーズが見られないように設定した。
ちなみに数カ月前からほんのり気色悪さを感じていたため、ツイッターは既にミュート済みだった。

他人の趣味全てを肯定しろとは言わない。
私にだって理解できない世界はある。
けれど、仮にも二人でお酒を飲んだり、出掛けたりしたことがある相手に見せていい行動ではないと思った。
ツイッターをミュートしたあたりから苦手意識は持っていたが、とうとう嫌いになった。

Q.嫌いな人だらけで生きづらそうですね。
A.はい。