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格差社会は悪ではない(超格差社会論 )

こんにちは。
ヤマトです。
今日は、社会的なテーマについて論じていこうと思います。
まずは「格差社会論」から。
近年、「格差社会が広がっている」「格差社会は良くない」という記事をよく目にします。
こうした記事を目にするたびに、「社会の不平等が広がっているんだな」と無意識に想像していますが、現在はあくまで「過渡期」にあるのであって、こうした格差社会が今後広がっていくかと言うと、「たぶんますます広がっていく」でしょう。
しかし、その現象そのものが「悪」であるとは感じません。
むしろ、そのことにより「社会がより良い方向に動いていくのではないか」という気がしています。
今回は、そこら辺を掘り下げていきます。
さて、「社会的不平等」というテーマを考えたとき、一般的に思い浮かぶのは「貧富の差」です。
これは、歴史的に根深いテーマで、「貧富の格差の是正」というのが20世紀まで「人類のメインテーマ」であったことは確かでしょう。
公共福祉の開発、税制度の導入、年金制度の制定…。
社会はさまざまな手法を講じて、こうした「社会的不平等」を撤廃してきました。
そもそも、「社会的不平等そのものが悪である」とする思想は、広くは「社会主義思想」まで遡ることができます。
資本主義が「不平等の経済制度(富める者がますます富み、貧しいものはますます貧しくなる)」というシステムであったのに対し、社会主義とは「社会全体が手を取り合って、平等であろう」という、一種の理想論を掲げたわけです。
しかし、中国共産党やソビエトの崩壊を見るに、社会主義はそのコンセプトとは大きくかけ離れた実相を呈してしまうことは、我々はすでに歴史の事実から学びました。
それでは、今後新たに「資本主義に代替する経済システムが現れる」かというと、たぶん出てこないと思います。
そのような発想ではなく、むしろ「資本主義をさらに発展させることで、社会主義的な理念をシステムの中に取り込んでいこう」とするのが、僕は大切だと思います。
さて、では「超資本主義」とはどのようなシステムかといえば、「超格差社会」ということになります。
ここで話を戻しますが、「資本主義のデメリット」は「貧富の格差」にあると言いました。
しかし、「超格差社会(超資本主義)」においては、貧富の格差は逆に「縮まっていく」と、僕は考えます。
近現代の富の構造とは、主に「金銭的裕福さ」にその象徴がありました。
「豪華な料理」「豪華な家」「酒池肉林」…。
そうした豊かさをイメージする人は、今現在においてもまだ存在するのが事実です。
しかし、こうした「裕福さの概念」は明らかに変容しました。
物質的充足から精神的充足へ。
モノからコトへ。
不健全な幸福から健全な幸福への意識の高まり。
昔は、おいしいものを食べて、働かずに暮らして…、という一種の理想論がありましたが、現在では「お金持ちは豪奢な生活をしていない」のが事実です。
物質的に豊かになり過ぎた現代だからこそ、本当のお金持ちは「物質的にはむしろ逆にシンプルさを求めている」のが、現代であります。
昔は、金持ちはデブな豚でしたが、今のブタは太っていないのです。
ブタになるのであれば、むしろその時間でジムに行き、せっせと体を動かしています。
むしろ、貧しい世帯層の方が「ブタになっている(肥満が多い)」のが事実なのでしょう。
さて、貧富の格差については、議論ができました。
では、「格差の是正」という概念はどうなるのでしょう。
「格差構造が悪である」という発想の根本には、「最小値の基準をどこに置くか」ということが重要です。
格差とは、一般的に「最大値と最小値の差」として認識されますが、これは大きな間違いです。
格差の問題とは、「社会的最下層の人間がどんな生活をしているか」ということに問題の主題を置き、フォーカスすべきテーマなのだと思います。
そうした文脈で考えた場合、「公共福祉」や「税制度」といったシステムは、こうした「社会的貧者」のためにあるといっても過言ではありません。
そして、実際のところ、こうした社会ステムは「十分に機能している」と言えるでしょう。
実際のところ、福祉の現場を見てみても、そうした社会的弱者の人が「必要最低限の生活」をする上では、ほとんど問題の無いレベル(生活水準)まで現代は到達しています。
さて、今後の社会動向を考えたとき、こうした格差は確実に広がっていくでしょうが、しかし税制度(累進課税)の観点から、より多くのお金を持つ人間にはより多くの税金が課されます。
こうした「高所得者からの税収入」を「社会的弱者の収入源」に充てていけば、格差が進めば進むほど「生活的な最低水準」は逆に向上していくでしょう。
そして、そうした「資本主義社会の未来」として、「不平等という名の平等(超資本主義)」が実現される、という構図が見えてきます。
「格差(不平等)そのものは悪ではない」
こうした発想の転換が、現代には欠けているのではないかと思います。

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