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ミッドナイトゴスペル第5話考察〜この世はバーチャルって言っときゃいいと思ってんだろ

第5話は個人的に好きな回だ。
アニメーションの表現が芸術的だし
ストーリーの筋立てがわかりやすい。
クランシーはいつもに増して冴えてるし
この回の主人公ボブにも愛着が湧く。

舞台はアバターの魂の刑務所。
実存的恐怖に耐えられなくなった
惑星シミュレータのアバター達は
舌を切られて刑務所に収容されている。

第3話の金魚鉢頭のオヤジや
第4話のトゥルーディとジャムロールも収容されている。

ここでいう実存的恐怖とは
存在の根源的な恐怖感
のことであり
それを孤独と呼んだり虚無感と呼んだりするものだ。
実体はないが様々な名称で呼ばれている。

この回の主人公ボブは
クランシーの襲来をきっかけに
脱獄を目指す可愛げのある囚人。
その案内人となる小鳥が今回のゲスト
ジェイソン・ルーヴだ。

作家で魔術師。シャーマニズムや悟り、魔術やオカルトにについての著書を出版しているらしい。

第5話のテーマは
仮想世界と解脱の条件
としておく。


ーーーーーここからネタバレ有ーーーーー


ぼくらはつながってるんだな

ジェイソンはまず初めに
今という瞬間の全体性
インドラネットについて語る。

「今これをみてる君と、クランシーと、何百万人ものリスナーがいなけりゃこの瞬間は存在しない。つまり今こうして僕が話してるのも、僕という存在の核心の動きではない。役を演じてるだけ。

「巨大な網を想像してくれ。青く光る無限の網だ。ヒンドゥー教的に重要なのはその結び目だ。網の線と線が交わる点がアートマン。アートマンは意識であり、個々の意識が神なんだよ。個々が完全なのさ。」

この現実は自分1人が独立して存在している訳ではない。
人生におけるポジションや役割は
どこを切り取っても他者との関係性に基づいている。

人は誰かの子であり、親であり、友人であり
師であり、弟子であり、恋人であったりする。
その都度役割を演じており
それが全体として存在している
ということだ。

瞬間瞬間が1枚の絵のようになっており
自分だけ塗り替えようとしても調和がとれず
全体が別の絵(別の世界線)へと切り替わる。

インドラネットとはそんな様子を表した
1つは全体、全体は1つという概念だ。

面白いのは、インドラネットでは
どこか一部で体験された情報は
全てが体験することになるということだ。

多重発見という現象がある。
全く同時に別の場所に住む人が
同じアイディアを思いつくことだ。

熱力学の第1法則や
進化論の自然淘汰説などは
複数の科学者が同時に思いついたそうだ。

多重発見とは少し異なるが
誰かが初めて達成したことは
他の誰かもすぐに達成できる
というような例もある。

スポーツ界は年々レベルが上がっていくし
数十年前のオリンピックと
今のオリンピックを比べると異次元だろう。

このように自分という存在は常に
全体と同時に存在しているのだ。


夢と現実と意識

話は仮想世界のことに移っていく。

ジェイソンは個の意識が幻想であることを証明するために
複数プレイに興じながら幻覚剤を使用したエピソードを語る。

「幻覚を見てる間、僕は全ての虚無を感じ取っていた。"オーガズムは"小さな死"。自己の放棄だ。自己は存在しないが、重荷であり痛みの根源になる。この自分を感じないのが究極のオーガズム。」

「2500年前に人々は仏教を取り入れ始め、この苦しみから免れた。仏教の瞑想には目的地はない。ただ自分と向き合う。感覚と向き合って座るんだ。君が一日中捨て去りたいと思ってる感覚とね。

「全ての本質は変化だ。そして非永続的で空虚。現実だと思っていた人生はただの夢なのさ。君はある日目が覚めて"夢だったのか"と気付く。それが最初のダルマ(法)だ。」

個の意識は雲のように掴みどころがない。
浮かんでは消えを繰り返す。

オーガズムは個の意識を消し去ること
瞑想は個の意識に向き合い眺めることだ。

生きてる間人は個の意識の変化に悩み、歓喜し
不安を覚え、安らぎを感じることを繰り返す。

そしてある日、個の意識を眺めていると
夢も記憶も個の意識のバリエーションの1つ
つまり現実とは個の意識そのものであると気付き
夢から覚めてしまうのだ。

世界5分前仮説という思考実験があるように
過去を証明することはできない。
なんなら1秒前に人々や記憶やあらゆる物が生まれたかもしれない。

これが"今"しかないといわれる所以だが
今すら瞬時に過去に変わるため
個の意識でしか現実を経験することはできない。

しかも
原子と電子の間はほぼ真空だし
真空では粒子が対消滅を繰り返してるらしいし
素粒子も拡大したらヒモだし
光子は波と粒だし

現実は時間もなければ空間もないのかもしれない。
色即是空。空即是色。


精神修行はエキサイティングな仮想ゲーム

この後の2人のやりとりが秀逸ですごい好きなので
長くなるが全部載せてしまおう。

ジェイソン
「この体験をリアルに感じて、自分の存在も本物だと思うのは勘違いさ。仏教の世界ではね。精神修行を考えてみようか。精神修行は何かに到達するためにある。"霊的になりたい""愛されたい""変えたい""理解したかも"でも仏教的には仮想ゲームでしかない。

クランシー
僕はらシミュレーションに没頭したい。起きたことを繰り返し経験したいのさ。自分の体では物足りず、キャラと一体化してる。仏教が撤退しても、VRゴーグルをつけて遊ぶのさ。その後も違うゴーグルで遊ぶ。その後もさらにその後も延々。拡張されていく。まるで永遠に続く現実の世界なのさ。これは入り口なんだ。空間と時間に入り続ける。永遠に空間と時間に侵攻しづつけて、僕らは決してVRゴーグルを外せなくなるんだ。」

ジェイソン
「なぜ外せない。感じたくないからだろ、感覚を。行動することで生まれる自分らしい感覚。でも幻像に没頭すれば体の痛みは感じずに済む。体は重荷なんだ。痛みを感じる。」

ジェイソンは精神修行を仏教で皮肉るという
かなり過激なことを言っている。

全ての精神修行はゲームでしかない。
何かに到達するためというのはウソで
それ自体が楽しいゲームなのだ。
この状態がクランシーが言う所のVRゴーグル状態。

自己啓発や宗教、恋愛心理学にハマってる状態も同じだ。
何か目的に到達するために行動するわけじゃなく
ソレ自体を目的にVRゴーグルに没頭する。
自分も疲れた時はGoogleで同じようなことをやってる。

この話の文脈とは異なるかもしれないが
(文脈的には行動を勧めている)
起業したり、健全なグループに所属したり、合コンに行くような
新しい行動を始めたところで
それも新たなVRゴーグルと言えるのかもしれない。


希望という名の自傷行為

話は個の意識の苦しみの根源、希望についてへ移る。
ここでもクランシーのセリフが秀逸。

ジェイソン
「物事をあるがまま受け入れると、希望は不要だ。自分がいる場所もまあまあと思えるから。

クランシー
「希望は捨てろ。"絶望"はイヤな言葉だよな。希望がどれほど、邪魔だったかを考えたことない人にはね。"明日には希望がー"グサ!"彼女は戻ってくる"グサ!"許してあげられたら"グサ!自分を希望で殴ってる。絶望に身を任せればよかったのに。」

”希望を持って努力することが大事だ。”
という言説がある。
わかりやすいし支持されやすい。
ただし、その希望を抱えている限り
裏側に潜む絶望に殴られ続けるハメになる。

希望も絶望もなくなった時
今という現実をあるがままに受け入れられ
自分のやりたいことを淡々と行動に移せるようになるのだと思う。


解脱の条件

ここで第5話の主人公ボブの話に戻る。
2人の語りを聞きながら、ボブは脱獄を目指し
囚人たちや看守と死闘を繰り広げながら
何度も死に、蘇り、死に、輪廻転生を続けていた。

一度死ぬとなんとなく記憶が残るようで
前回のトラップをかわし、少しずつ脱獄へ近づいていく。

このタイムループの感じは
ひぐらしとかまどマギとかシュタゲを彷彿とさせる。
マリオをプレイするときに死にながら学ぶ感覚だ。

しかし、あるとき
何度も死と生を繰り返し苦しみぬいたボブは気付く。
看守も囚人も自分と同じ存在だと。
先ほどのインドラネットの感覚だ。

他の人全てに自分の面影を見たボブは
闘う選択肢を捨て
他の囚人と脱獄という目的に共に向かうよう
行動変容を起こす。

まあ結局死んじゃうんだけど
このボブの心境の変化が解脱への道へ至り
無事惑星を脱出して自分の舌と声を取り戻す。
声を取り戻したボブは歌い出す。

”刑務所は私の中にあった
ついに本当の自由が手に入るのは
囚人のキャラクターをやめた時”

ボブは最初いかにも囚人らしい
他の囚人も看守も殺しながら脱獄する選択から
他の囚人の中に自分の存在を見出し
共に脱獄する道を選んだ。

この時ボブは囚人のキャラクターをやめた。
誰かと闘うことをやめ
目的の遂行のみに行動の照準を定めた。
在り方の変容だ。
ボブの執着はなくなりカルマは0になった。

そうして解脱に至り
自分の声を取り戻すことができ
本当の自由が手に入ったのだ。

この解脱への流れを一般化すると
人生において何か目標を達成したい時
初めは周りのせいにしがちになる。

会社のせいで、親のせいで、社会のせいで、
自分の性格が、能力が、
アルコールがやめられない、パチンコがやめられない、

これが周りのせいにしている状態。
周りと闘っている状態。
人生の責任を放棄している状態とも言える。

ボブのように何度も死に挫折を重ねることで
自分の目標、ボブの場合は脱獄、を達成するために行動し
目標達成、解脱に到達する。
この過程で自分の人生に責任を持つことができ
自らの声を取り戻すことができるのだ。

解脱の条件とは
・全体性の理解
・闘いや希望など対立概念の手放し
・自身の存在責任を負う

で、まとまったかな、、。

夢オチならぬ仮想世界オチ

っていうのもぜーんぶ仮想シミュレーションだよー

と言わんばかりにクランシーは突然何もない仮想空間に放り出される。

第5話もきっかりミッドナイトゴスペル節が炸裂していました。

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