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ミッドナイトゴスペル第7話考察〜瞑想よりおもしろいこと

前回第6話の考察記事で
6と7はつまらん好きじゃない
と言ったのだが

第6話と第7話はセットになっていて
それぞれ第8話に向かう意味を持つことが分かった。
その辺りも含めて考察していこうと思う。

ゲストはケイトリン・ドーティ。
職業は葬儀屋で
故人や遺族の希望に沿った葬儀を行う会社
アンダーテイキングLAを設立した。

第7話は死と向き合うことで逆説的に
死を象徴する悟り的な価値観のアンチテーゼになっている。

だから悟ったクランシー回とセットなのだ。
倫理と経済、死と生、仏教とキリスト教、悟りと感情という
2つの対立する要素を踏まえて考察していく。


ーーーーーここからネタバレ有ーーーーー


資本主義における死の価値

第7話のケイトリンの語りは1本道なので
初めに彼女が語る葬儀の歴史について紹介する。

時は1860年代まで遡り、アメリカは南北戦争のさなか。
プロテスタントは遺体を拝むことを重視していたため
北部の兵士が南部で死んだあと、列車で死体を運送していた。

しかし遺体を運ぶ列車の車掌はイヤになり
"死体を全部蹴り落とせ!列車に死体の山はご免だ。"
と死体を捨ててしまっていた。

 そこで遺体処理専門の若者が登場する。
戦場で打ち捨てられた遺体に防腐処理を施した。
内臓を抜いた体におがくずを詰め
心血管系にヒ素を流し込んだ。
北部に遺体を運ぶ間、腐らないように処理したのだ。

その当時は良識的な発明で
この技術のおかげで死んだ息子に再会できた。

しかし戦争は終わってしまう。仕事もなくなる。
そこで遺体処理業者たちは全国各地で技術を売りまいた。
まるでアムウェイのように
3日間の防腐処理教室を開催して
防腐処理を学ぼう!と宣伝した。

そして20世紀初頭に決定的な事件が起こる。
遺体は感染性があり危険だと言う考えを定着させたのだ。
本当に恐ろしい感染症で亡くなれば
疾病予防管理センターが回収して焼却するし
ほとんどの死体に感染性はない。

 親族誰かが死ぬたびに
"触ると危険です" "我々が防腐処理を施すのでお支払いを"
と言い、血を抜かれて薬品を詰め込まれ
化粧してスーツを着た父を買い戻す。

もちろん、葬儀屋はこの事実を教えることはない。

死は身近で遠い存在だ。
ほとんどの人は人生でそう多く経験する事柄ではない。
しかも自分の死は経験することができない。

恐怖の根源である死に対して
畏怖が生まれ、倫理が生まれ、
さらには神秘のベールに包み込み
どこか見て見ぬフリをしている。

そのスキにつけこんだのが
20世紀初頭の防腐処理業者たちだ。
人の恐怖や道徳心を利用して
死を換金する方法を思いついた。

死に対する意味付けが何1つない
資本主義における模範解答だ。

死に限らずこういった罠は日常に潜んでいると思う。
例えば、今使っているシャンプーやソープ、化粧品に効果があるのか。
病院で処方される薬に効果はあるのか。

現代はインターネットという武器があるので
日常に潜む無知に気付き
自分で選択することができる。
かもしれない。


個人の体験としての死

話題は"クランシーの父親の死"に移っていく。

クランシー
「"しばらく遺体と会話しても良いんだよ"なんて誰も言ってくれない。そもそも死んだ人のそばで過ごしたい人なんて、あまりいない。」

ケイトリン
「遺体と向き合う時間が欲しくても、最初はその気持ちに自信がない。でも背中を押されて、死と向き合ったら魔法のような変貌を遂げる。
まるでチョコと子犬ね。愛を感じられる。満足するの。」

実の両親の遺体と会話する経験は多くて2回
1度も経験しない人もいるだろう。
そんな場面に遭遇したとき
一体どう振る舞うのか。

ケイトリンは
みな遺体に向き合う自信がない
背中を押して死と向き合えれば
愛を感じて満足する」と言う。

チョコの子犬のくだり
自分もタブーだと信じていたのだが
どうやら致死量に至るには
大量のチョコを摂取する必要があるらしく
子犬はチョコが好きなんだとか。
獣医の陰謀論でないことを祈る。


ここからはほとんどクランシーの語りだ。

「これも大勢が経験してるけど、死の床にある人が話す覚悟ができた時には、心が崩壊してもう話せなくなってる。

映画とは違うよね。ガチで消える。ウソみたいにさ。」

「僕が息子だとわかる時もあれば、混同することもあった。戦時中の話をして面白かったけど、もう父さんには会えないと感じた。目の前にいるのは夢遊病患者で、父さんじゃないってね。

「父さんは僕に話だした。素晴らしい内容さ。僕への指示もあった。ホスピスにランチを送れとか。僕はラッキーだ。今からでも届けるよ。父さん 過去か現在かどこにいても 届けるからね。デスさん、会えてよかったよ。」

誰かの死はその人固有の経験だ。
パターン化された日常の真逆
非日常の最たるもので
映画のワンシーンのように
美化されているわけでも
悲壮感に満ちているわけでもないだろう。

クランシーは死と向き合うことで
自身の経験のかけがえのなさに気付き
死神にお礼を言う。


瞑想、エゴの死の先に

父親の死の経験を回想したことで
惑星から帰還後にこう語る。

「いや、お恥ずかしい。悟りだなんて。僕には何の意味もない。」

そして歌い出す。

人生の調子が狂っていても
それに合わせて歌えばいい。
調子が悪くても自分でいる方が
悟った誰かになるよりいい。

クランシーは穏やかで退屈な
悟りというアイデンティティを脱ぎ捨て
自分という固有の経験に価値を見出したのだった。


ストーリーと大アルカナ

ここからは第7話のストーリーについて解説する。
第7話に登場するキャラクターは
タロットカードの大アルカナをモチーフにしている。

タロットの起源自体が直接キリスト教に由来しているわけではないのだが
生み出された背景を考えるとキリスト教的価値観が
色濃く反映されたものと言える。
詳しくはwikiなどを参照してほしい。

まず初めに今回のゲストのケイトリンは
デスとして死神の姿で登場する。
死神は大アルカナの13番
消滅や絶望、再生や始まりも意味する。

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第6話で悟ってしまったクランシーは
一度エゴの消滅を経験し
第7話の死と出会った
と解釈する。

しかしクランシーは鏡の中に
隠している自分の姿
を見つける。
恥ずかしい自分、許せない自分
悟ったつもりだったクランシーは
そうした自分を押し込めていただけだったのだ。

ケイトリンにそうした自分も許しなさいと言われたクランシーは
鏡の中の自分の消滅を見る。
その瞬間、ホルンを持った天使が現れる。
破壊と再生。始まりと終わりだ。

この天使は大アルカナの20番
救済と復活を意味する審判のカードだ。
あらゆる苦痛を経験し
精神的な成長を果たしたクランシー

救済のホルンが鳴り天使が現れる。

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第7話で鞄の世界に入る前
クランシーはウォータースライダーで遊ぶための
ホースを探していたのだが
そのホースをもつキャラクターが現れる。
大アルカナの0番、愚者の存在だ。

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見るからに頭の悪そうな子供の愚者は
自由な行動と発想、新たな出発を意味する。

クランシーはホースを持つ愚者を追いかけて
ストーリーは進行していく。

ホースを取り返すことに夢中なクランシーは
次に腹の出た中年オヤジのようなキャラと出会う。
大アルカナ15番の悪魔だ。

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男女が鎖に繋がれている絵も一緒に描かれており
誘惑に負けるというイメージのカードらしい。
ここではウォータースライダーで遊びたいがために
ホースに夢中になっているクランシーと解釈する。

ホースを持った愚者を追いかけて
一行はエレベーターに乗り込む。
このエレベーターはどこまでも高く、まるで塔のようだ。
ということで大アルカナ16番の塔と捉えた。

塔は急激な変化やショッキングな出来事を表す。
驕り高ぶる人間に神が裁きを与える絵として描かれている。
最終的に一行はこの塔からピンポン球で落ちてしまう。

乗り込んだエレベーターには
椅子に座った偉そうなおっさんが乗っていた。
これは大アルカナ4番の皇帝
父性や権力を意味する。

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エレベーターに乗っている最中
皇帝の目を盗んで
悪魔とホルンの天使がいちゃいちゃするので
皇帝はホルンを壊してしまう。

悪魔の性的な堕落と
皇帝の父性や力の原理が表れている。
このときエレベーターの外には
大アルカナ6番の恋人たちが映っている。

この後エレベーターの中に
魔法を使って侵入してくる男がいる。
大アルカナ1番の魔術師だ。
創造や生産を意味している。

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愚者の持つホースを追い続け
最上階まで到達した一行だが
最終的に死神がピンポン球をばらまいて
全員を塔から落としてしまう。

そうしてクランシーは鞄から飛び出して
ウォータースライダーのある世界へと帰還し
ホースを取り返すのだ。

(途中からアルカナの意味考えるのやめました。
というか意味あるのか?
他にも"力"とか出てきている気がします。)


ストーリーと生命の樹

帰還後、鞄は生命の樹へと姿を変える。

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こんなの。

生命の樹は旧約聖書の創世記にエデンの園に植えられた樹のことで
カバラ(ユダヤ教に基づいた創造論)では、世界の創造の10段階を表しているという。

その10段階についてとってもわかりやすいnoteがあったのでリンクを貼ります。

生命の樹をカードゲームに例えているのを引用すると

1.コンセプト。運営が提供するカードゲーム体験
2.知恵あるゲーマー
3.数多くの選択肢を有するカードプール
4.創造力のあるゲーマー
5.カードの選択と比較から生まれるデッキ
6.理想のゲーム環境
7.勝利を目指すトーナメントプレイヤー
8.完成されたトーナメントデッキ
9.コミュニティごとのメタ環境
10.実際のトーナメント

となるらしい。

つまり運営がカードゲームを作ろうと考えてから
実際に大会が行われるまでの流れを例に解説している。

あらゆるジャンルでも同様の構造をしてるだろう
っていうのが生命の樹のコンセプトだ。
ストーリーにおける起承転結の
複雑バージョンみたいなもの。

実は10個の丸の他にも
それぞれを結ぶ22本の線があって
その22本の線が大アルカナに対応しているのだ。


やっぱり何か感じてたい

話が長くなってしまったのでまとめると
今回クランシーが体験した世界は
生命の樹の中で大アルカナたちと生み出す
1つのストーリーだった、ということだ。

第6話における瞑想は
現実をとことん抽象化して死に向かう作業
第7話では真逆のアプローチを行なっている。
現実をとことん具体化して生を感じる作業だ。

それを表現する道具として
生命の樹や大アルカナを使っているだけで
実際の現実は無限のバリエーションに富んでいる。

瞑想に退屈していたクランシーは
ホースを取り返し
水の流れに身を任せてはしゃぐのだった。

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