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ミッドナイトゴスペル第6話考察〜心のケツに大人のオモチャをつっこめ

いきなりぶっちゃけると
この回はあんまりおもしろくない。

第1話〜第5話までのように
頭の中の抽象概念がぐるぐる回る
トリップ体験は第6話ではできない。

個人的に第7話もあんまり好きじゃないんだけど
感動的な最終話に向かうまでの
閑話休題というか、助走的な感覚だ。

今回のゲストはデイビッド・ニックターン
作曲家でサウンドトラックメイカー
仏教指導者でも瞑想家でもある。

ググるとデイビッド監修の瞑想センターが日本にあり
トップの指導者として活躍しているそうだ。

第6話はゲスト登場までの下りが長く
前半は何も考えずに見てられるカートゥーンアニメ
後半ゲストが登場してからも深くまでは話が及ばない。

あまり考察するポイントもないので
あらすじと共に簡単に紹介する。


ーーーーーここからネタバレ有ーーーーー


前半のあらすじ

惑星エラーでシミュレータ使えず気が晴れないクランシーは
ネットで"隣人に配れば悩みが消える"という広告に踊らされ
パイ・メシアというパイを物理ダウンロードする。
ダウンロードしたパイは吐瀉物が乗ってるゴミだったのだが
それを隣人に届けに行くと、案の定邪険に扱われる。

"空気読めよ"と萎えるクランシーが帰宅すると
シミュレータから紫の煙が立ち込め、故障していることに気付く。
シミュレータには1日2回緑の油を塗る必要があると知ったクランシーは
修理屋を呼ぶが、修理屋は紫の煙に飲まれて白骨化してしまう。

先ほどの隣人、実はシミュレータ農家をやっているため
クランシーは農家の緑の油を盗み、壊れたシミュレータに塗ると
シミュレータは復活。今回の惑星へと向かう。


ちょっと瞑想しただけですぐ悟ったっていうやつ

デイビッドに会う前から
瞑想してるような退屈な奴には会いたくない
とゴネていたクランシーに
彼は瞑想のやり方を教える。

「気に留めてほしい3つの原則がある。1つは”沈黙”だ。耳をすますためにね。2つ目は"静止"。感じるためだ。3つ目は"空間"。自分に空間を与える。」

デイビッドに誘われ瞑想を始めたクランシーはやっぱり

「くそつまらん。まさに人生最悪の体験だ。よく瞑想なんてやる奴がいるよな。」

と機嫌の悪いままだったが
突然現れたサルとのやりとりで
(サルはエゴのメタファーらしい)
生物が穏やかに暮らしてる光景を見て
静かな心を取り戻してこう語る。

クランシー
今いる場所を受け入れた途端全てが好転した。自分の考えはつまらなく思えて、自分が過去になった気がした。普通かな?」

デイビッド
「自分のことだけ考えているとき、君は自分1人しか寝られない小さな部屋にいる。自分の考えから離れたら、大きな家に引っ越せる。人を招き入れられる。君も他の人も入れる広さだ。それが"空間"だ。」

心の容量というのがある
器の大きさに近いが、少し違う気もする。
エゴに塗れているときは
心の中が自分のことでいっぱいで
他者のことを考える余裕がない。

その心の空間の掃除をするのが瞑想なのだ。
空いた空間には自然と物が入ってくるように
余裕のある心には他者を思いやる余地が生まれる。

…そんなことはどうでもよくて
さっきまで機嫌が悪かったクランシーが
ほんのわずかな瞑想で悟った気分になってるのは
躁鬱っぽく見える。

第1〜5話までの気付きや落ち着きはどこへやら。
クランシーって第1話で瞑想してたって言ってたよね。
過去も瞑想も今は存在してなくて
人間はその瞬間瞬間の存在だってことにしておこう。

実際、若い時妙に大人っぽく振る舞える時もあれば
大人になってから子供みたいに駄々をこねる時ってある。


心のケツに大人のオモチャをつっこめ

次の2人のやりとりはこうだ。

デイビッド
「瞑想の指導者の多くは、心をグレた若者のように扱って黙らせようとする。」

クランシー
「確認だけど君が言いたいのは、心のケツに大人のオモチャを突っ込むべきではない?何かを突っ込めば出てこないけど、そうじゃないね。むしろ果てしない数の考えを受け入れるというか。自分と自分の思考はさほど密接じゃないと理解すること。」

心のケツにオモチャをつっこむ下りで
2人は不自然に長い間笑いあってるのだが
(多分デイビッドがクランシーの意図を受け取れなかった)

クランシーは次々と浮かぶエゴのことを
心のケツから出る排泄物
に例えており
大人のオモチャっていうのは
性的な快楽や薬物のことで
それらで無理やりエゴを塞ぐべきではないよね?
と言っているのだと思う。

デイビッドの文脈からは
大人のオモチャとは
エゴを無理やり押さえつけるような考え方
精神論や宗教なども当てはまりそうだ。

心のケツから無限に噴出するエゴ
汚いからどうこうしようとするのではなく
そういうものだから、と
だだ漏れでも気にしないスタンスが
瞑想においては大切ということだ。

まあミッドナイトゴスペル自体が
大人のオモチャのいい例だと思うけど…。


悟り商法とマジの悟り

このやりとりを経てクランシーは

「悟ったよ。ありがとう師匠。自分の世界に戻って変えてみせるよ。

と、すっかり悟った気分になっている。
それに対してデイビッドは

「質問がある。帰る前に、自分は悟って他のみんなを助けられると、どうして言える?

と質問を残し、クランシーは帰還する。
帰還後、シミュレータに
"悟ったクランシー"と呼べよ。
と意気揚々と語るのだが
ここに悟りという概念の罠がある。

後の話の伏線にもなっているのだが
悟りというのはただの概念で
本質的には何も変わっていないように思う。
(本当に悟りという状態があるのかもしれないが)

ただ一時の気分の高揚で自分は悟っていると思い込むと
その他大勢の人を悟っていない人間と見做してしまい
悟っている自分なら彼らを助けられる、と感じる。

この危うさを最後にデイビッドは忠告したのではないだろうか。
ま、デイビッド完全に悟りを教える側なんだけどね。
なんなん。



こんな風に
"瞑想すれば悟りがひらけて人生楽に生きられますよ"って
商売文句でお金を稼ぐ人間も大勢いると思うのだが

あながち嘘はついていないかもしれなくて

この記事によると瞑想を極めると
アハ体験の時に瞬間的にでるガンマ波が
通常の700〜800倍も出るようになるらしい。

これがどんな状態かは皆目見当もつかないが
もしかしたら薬でキメる何倍もキマっているかもしれないし
この境地に達することを悟りと呼ぶのかもしれない。

瞑想の世界はいろんな意味で深い。

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