なぜかツイてる話。
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なぜかツイてる話。

あなたはいわゆる「持ってる人」ですか?それとも「持ってない人」ですか?自慢でもなんでもなく、「なぜかツイてる私の人生」を暴露します。これは、もはや自伝かもしれません。

僕の人生はこんなにもめちゃくちゃで、こんなにも運があって、こんなにも素敵な人たちに恵まれています。

でも、それがどうしてだか分かりませんでした。

小学校から勉強は割とできない方でした。というか、6年間いろいろなことを教えてくれた小学校の先生たちは、とくに「算数」について私を納得させてくれたことがありませんでした。例えば「分数の割り算」
なぜ、分母と分子をひっくり返してかけると割ったことになるのかが分かりませんでした。「どうして?」と尋ねると決まって返ってくるのが「これはそういうもんなのよ。」です。

あなたは納得できますか?この分数の割り算にしても、自分の人生にしても。僕は、納得したい。納得するために振り返ろうと思って、文末には結論が出ていることを祈りながら考察していきます。時間のない方は記事最下部の「まとめ」を読んでください。

中学校時代

「これはそういうもの」の嵐。来る日も来る日も「なぜ??」の連続で、「何を解決したのかがわからない状態」になりました。
方程式??僕は何を解いたの??
助動詞??これは国語の授業??
原子??どこにそんなものが存在しているの??
などなど。

そんな状態でしたので、理解がどうのこうのより、納得ができずにあっという間に成績はどんどん降下。気が付いたら毎日登校しているのに成績はほとんどビリ。様々なトラブルや中学生特有の「心の不安定さ」が付いて回り、学校に行かない時期もありまして、もはや3年生になると担任から「行ける高校がないから、自分でも将来をどうするかを真剣に考えなさい。」と言われる始末。

そんな私は部活動(吹奏楽部)だけはそれなりに好きで、決して上手ではなかったけれど毎日参加していました。その時の顧問の先生から「あなたに紹介したい学校があるから見に行かない?」と言われてついていきました。すると、その学校はちょうど秋のマーチングコンテスト直前。中庭でマーチングの練習が行われているところでした。

そこで脳みそに雷が落ちるような衝撃を受けるのです。はっきり言って今思い出しても心が震えた!なんだこれは!かっこよすぎる!!!

顧問の先生の部屋に呼ばれ、「どうだ?一緒にやりたくなったか?」と言われ、訳も分からず「やりたい!」と言いました。ところが成績が足りません。で、入試までまだ時間があるから全力で勉強をすることに。

でも、やってもやっても分からない。教えてもらおうにも、当時の先生たちは露骨に面倒くさがったり、忙しそうなフリをして相手をしてくれませんでした。でも、初めて自分に夢が出来たんです。諦められませんでした。だから来る日も来る日も先生たちに頭を下げて、少しでも教えてもらえるように頼みに行きました。何を聞くかが分からなくなるといけないので、メモ帳に質問リストを大量に書いていきました。

しかし、努力が実らず、高校の先生から言われていた期日までに、言われていたハードルを達成することができませんでした。
ところがここから超展開がおきます。なんとクラブ推薦をくれると言うのです。僕は楽器は上手だったわけでもないし、人柄も決して良いわけでもなく、理解が遅い劣等生なのに。。。

そんな先生の期待にも応えるべく、一生懸命入試の日まで勉強を続けて無事に合格することができました。そのころには学校での成績も真ん中より少し上くらいには持ち直していました。

高校時代

夢叶って、念願の高校に入学しました。なぜか、僕たちの代から部の人数はどんどん増えていき、高校三年生になると部活は全体で120名を超えるような大所帯になっていました。

それに、全くやりたいともできるとも思っていなかった「部長」にもなりました。僕らの代の部長を選ぶとき、顧問の先生が「候補者は自分が部長になったらどうするのか、マニフェストを用意して明日の朝全員の前で発表してもらう。」とおっしゃったのですが、僕にはその「自分が部長になったらどうしたいか」が全くなくて、結局何も思いつかないまま当日を迎えてしまいました。

たしか4人ほどいた候補者ですが、みんな、本当にいいことを言うんです。こんなクラブにしたい・あんなクラブにしたいなどなど、よくもまあそんなにきれいな言葉が出てくるなと。人の話に感心していて結局何も考えていない自分の番になり、うーんと考えた後口から出た言葉が

「僕が部長になっても、何もしません。」

でした。終わった、俺は終わったぞ。まっすぐ僕を見る同級生や後輩の信頼を裏切って、「何もしない宣言」をしたんです。

「部長だけでどうにかなるもんじゃないし、部長だけが忙しいクラブなんて変だと思うから。だから僕が部長になっても何もしません。みんなが協力する部活になればそれでいいと思ってます。」

すると、投票の結果僕が部長になってしまいました。しかも、公言した通り何もしなくていいとみんなが言うんです。何かしようとするとどこからともなく他の部員がやってきて「先輩これ私がやります!」とか「これは俺がやるから!」とみんなが助けてくれるようになりました。おかげで練習時間は全く削られず、部活の雰囲気も「誰かに頼る空気」が無くなって、風通しが良くなったし、何より高校三年生の最後の年に大会でダブル金賞採れたことが最高によかったです。

進路も、音大に行こうと思っていましたが、このころには将来学校の先生になりたいと思っていたので、教員免許を取るために莫大な学費を払うよりも、教職課程も履修できる上に日本で最高の演奏ができる一般大学を目指せという風なお話をいただいて、またクラブ推薦をいただいて大学も合格しました。ちなみに、僕の高校ではその大学に進学したことでまるで普通科のスーパースター扱いを受けたことは今でも良い思い出です。

大学時代(1~4回生)

本当にいい仲間に恵まれました。本気って、こういうことを言うんだなって思いました。今でも「本当の本気」が何であるかを知っていることが僕の自慢です。3回の全国大会出場を勝ち取り、内2回は金賞を取りました。

単位はなかなか取れませんでしたので、留年してしまったのですが、のちにこの留年すらもラッキーに変わります。

大学時代(5回生)

この時、僕の中学校時代の同級生が母校の中学校の指導を外部講師というかたちでお手伝いしていました。僕の大学では留年してもクラブは4年で卒業だったので、春から無敵感漂う5回生になっていた私は、彼に招かれて母校の門をくぐりました。

ところがハプニング。

その同級生が突如としてコンクールの一か月前にクラブを去ることになりました。(ここについては言いたいことは山ほどあるけれども、事件性のあることでもあるし、結果的にこれがあっての今なので今では感謝。)

そしてなんと私がコンクールで指揮を振ることに。「えっ、マジで。」です。めちゃくちゃ悩みました。生徒との関係もめちゃくちゃです。そりゃそうです、突然これまでの先生がいなくなって私が目の前に出てきたんだから意味が分からなかったんでしょうね。ま、僕も分かりませんでしたが。

でもここからコンクールを経て、定期演奏会をやり、教員免許も取り切り、この母校での努力を認めてくれた校長先生のおかげでそのままの流れで常勤講師というかたちで学校の先生になれました。人の失敗の尻拭いをしたら、夢が叶ってしまいました。

公立中学校時代

職場の理解もあって、顧問を担当したクラブはすくすく大きくなりました。最大時で70人以上部員がいた時期もあります。

ある時から母校の高校に憧れて、本気でマーチングをやりたいと言ったら、どこからともなくマーチング楽器が一式届きました。(活動休止したマーチングバンドの楽器を倉庫代わりにあずかるという名目で、楽器の使用許可をいただきました。)しかもガチの楽器です。

またある時は、あんな先生に教わりたいと言えば、どこからともなくパイプのある人が現れて本当に偉大な先生にお越しいただき、指導して頂いたこともあります。

またある時には、マーチングコンテストに出たいという生徒の要望に応えてやろうとすると、職場の先生たちが協力して体育館やグラウンドを譲ってくれることもありました。せっかくやるからにはオリジナリティのあるショーを作りたいというと、どこからともなく本物の作曲家を紹介してもらったこともあります。いまでもその作曲家先生とは大の仲良しです。その後の定期演奏会は、ほとんど販売譜を使うことがなくなり、演目の大半が彼が書いた僕たちだけのための作品になりました。

またある時には、中学時代の同級生がプロのサックス奏者になり、また一緒に部活ができるようになりました。これは一番最高でした。彼のために前述の作曲家に協奏曲を一年に一曲ずつの合計三曲も書いてもらいました。

そしてなにより、本当に素晴らしい生徒たちに恵まれました。これは、過去を回顧して美化するわけではないですが、全員最高でした。人を思いやって、他人のために努力できる生徒たちでした。

そんなことをやっているうちに、今勤めている私立高校からのオファーがあり、今に至ります。

まとめ

書いているうちに、少し結論が見えました。
長くまでお付き合いいただいてありがとうございます。こんな感じの人生をすごしてきました。こんな感じの人生を過ごしてきた私がどうしてツイているのか、まとめは下記のようになりました。

「ツイているのではなく、ツイて回るように過ごしている。」

と思います。これが結論です。

以下、文章を書きながら振り返った私の性格の自己分析です。

・好きなことについて「努力」することがもはや何の苦痛も伴わないレベルで当たり前になっている。好きなことを好きなようにやっている本人に「努力している」という自覚がない。

・最初から自分だけで何かが出来ると思っていないし、頼める・頼れる人が自然と集まってくれるようなネットワークができている。またこのネットワークによって常に自己が高められている。

・最初から自分の利益のために物事に取り組んでいない。自分が認められたい、称賛されたいという欲よりも、例えば子どもたちが周囲から認められることの方に高い価値が置かれている。

・やりたい、叶えたいと思っていることが実現することしか考えていない。できない理由を考える前に、叶えられる方法を考えている。

・実はピンチを楽しんでいるところがある。ピンチな時というのは、自分の周囲の人にとってもピンチなのであって、そのピンチをうまく乗り越えることが結果的に周囲の人を救う。

・自覚なく、時に大胆な行動をしている。何か新しいことを始める労力よりも、やらなかった場合の後悔を先に考えている。

とまあこんな感じでしょうか。
自己分析とは「振り返り」が大事ですね。長々書きましたが、こんな風に過ごしてみたら少しは運がツイてくるのかもしれません。少なくとも今の僕はこんな感じです。

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