『球陽』の天文記事 ~彗星~


『球陽』には多くの彗星の記録がある。そのうち「彗星」と明記されているのは7件(うち3件は尚敬王30年にまとめて記載されている)である。この7件を含め、彗星の可能性のある記事の検証には、Project Plutoによる天文シミュレーションソフトGUIDEの軌道要素データを、AstroArtsの天文シミュレーションソフトStellaNavigatorで利用して行った。

尚貞王二十七年 1695XI10 彗星、夜見はる。

冬十月初四日 彗星出見して群黎大いに之を驚燿す。 遂に使を遣はし、往きて唐栄に問はしむ。 唐栄、尽く古図を画き、並びに書を紀して聖覧に呈す。 而して其の図並びに文、今考ふべからず。
(角川書店発行 球陽研究会編 球陽 読み下し編)

本文中に彗星の見えた時刻・方角についての記載はないが、この頃明け方の南東の方角に肉眼彗星があった事が、KODA氏によって指摘されている。
この前後の、彗星の日の出60分前の位置を図に示す。
冬十月初四日には暁の南東約18度の高さに見えている。

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尚益王三十年 連年彗星出現す。

連年彗星出現す。
壬戌二月上丁、両三夜の間、五更の時節、彗星丑の方位に見はる。(俗に箒除星と叫ぶ)
癸亥十一月中旬初更の時節、彗星酉の方位に見はれ、箒尾東に建つ。
申子正月未旬五更の時節、彗星亦卯の方位に見はれ、箒尾酉戌の方に建つ。
天既に曙に至り、その星を見ず。
(角川書店発行 球陽研究会編 球陽 読み下し編)

壬戌二月上丁は1742 III 13である。
この頃、北東の方角に肉眼彗星があった事がKODA氏によって指摘されている。
この前後の、彗星の暁の東天日の出90分前の位置を第1図に、天球上の動きを第2図に示す。
「壬戌二月上丁、両三夜の間」には白鳥座と竜座の境界付近を北上し、日の出90分前には丑寅の方位約45度の高さに見えている。

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第1図 日の出90分前の東天

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第2図 彗星の天球上の動き

癸亥十一月は乾隆8年にあり、その中旬とは1743XII26~1744I4である。 この時期の日の入りから日の出までは、約13時間であるから一更の長さは約2.6時間となり、初更は18時~20時26分(JST)頃である。
この時期、20時(JST)頃には西の空高くにKlinkenberg彗星が見えている。
この彗星が水平線に沈むのは夜半過ぎのことで、あえて「初更の時節」という表現をする理由は見当たらないが、あるいは天候の都合により、ある一日のこの時刻だけに観測されたのではあるまいか。 他の文献による当時の天気の調査が必要であろう。
彗星は、その後太陽との離角が小さくなっていき、1744II27頃に合となった後、明け方の東天で観測されている。

甲子正月は乾隆9年にあり、その下旬の暁の東天には、Klinkenberg彗星があった。斎藤国治著「古天文学」にはこの彗星の軌道要素が載っており、これを用いてステラナビゲータで計算すると、天球上での彗星の位置は図1のようになった。首里における日の出時の東天での位置は図2のようになる。
「古天文学」によれば、この彗星の日本での初見は1743XII20であるので、癸亥十一月中旬の彗星の可能性がある。
また、同書にはド・シェゾーによるスケッチが載っているが、それには六本の尾を持った大彗星として描かれている。

これら3つ(実は2つ)の彗星は尚敬王30年よりのちの現象であり、Klinkenberg彗星が現れたのはまさに『球陽』を編纂している最中である。編纂中の何かを物語る記録の可能性はないだろうか。

尚灝王4年

本年八月、始めて彗星(俗に箒星と叫ぶ)有り。
毎に黄昏より亥初刻に至るまで、酉方に見はる。
十一月に至りて仍ち滅す。
(角川書店発行 球陽研究会編 球陽 読み下し編)

尚瀕王4年の8月1日は1807IX2である。
この頃には約2等まで明るくなった無名の彗星がある。
GUIDE 5.0に添付の軌道要素によると、この彗星は1807IX19に近日点を通過しており、地球への最接近は同月25日頃である。
明るさは2.2等でこの前後ほとんど変化がなかったと推定される。
彗星初見の日付は明記されてはいないが、日没後1時間の高度等から1807IX15前後ではないかと考える。
発見時乙女座のスピカの近くにあったこの彗星は、天球上を北東進し、1807XI23頃には琴座のベガのすぐそばを通っている。やがて天の川の光芒に埋もれ、確認できなくなったのであろう。

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尚瀕王4年8月~11月の日没後1時間の西天

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彗星の天球上の動き

尚灝王22年 1825XI30

本年十月二十一夜、彗星あり。此の彗星卯辰間に見はる。御番頭、下庫理当に逓して転奏せしむ。
(角川書店発行 球陽研究会編 球陽 読み下し編)

この日、宵の南東天に1825XII11に近日点通過を控えたPons彗星がある。GUIDEに付属の彗星のデータの、絶対光度・光度係数を用いた計算によると、この日のこの彗星の明るさは5.4等である。

この日には南西の空低くにもう一つのPons彗星があり、3.7等とやや明るいが、夜の間に卯辰間に来る事はない

尚灝王27年 1831I3

本年十一月二十日夜、彗星、卯辰間に見はる。御番頭、下庫理当に逓給して転奏せしむ。
(角川書店発行 球陽研究会編 球陽 読み下し編)

当日明け方の東南東の低空に、1830XII28に近日点を通過したばかりの彗星がある。GUIDEの軌道要素によると、明るさは3日には3.7等、4日には3.9等である。

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両日とも日の出直前にしか彗星は水平線上に現れず、「夜」という記録に馴染まない。仮に明け方をなんらかの勘違いで「夜」と記載したとすると、3日ではなく、4日の明け方が自然であろうか。

GUIDEのデータには、他に候補になりうる彗星は見当たらないが、方角は一致しつつも時刻について不自然である為、現時点では一つの候補にとどめておきたい。

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