『球陽』の天文記事 ~日食~

日食記事の検証には、客星氏作成の日食経路図描画ソフトEMAPを使用した。

尚穆王35年(1786I30)

正月元旦、日食有るに因り、朝賀の諸礼、初二日に至り挙行す。
この日、日食有るに因り、王上、特に諭して、朝賀の諸礼は初二日に至り挙行す。
元旦の日は、中華救日の礼に照依し、躬ら冠服を御して戒慎し、以て復明を待つ。
任職の王子以下の諸役も亦衣冠を着し、各々直所に在りて戒慎す。
復明の時を待ちて、然る後に退く。
(角川書店発行 球陽研究会編 球陽 読み下し編)

画像1この日食が「球陽」に現われる最初の日食である。 地球全体では、北緯25.0度東経125.5度付近の狭い範囲で皆既日食となる金環皆既日食で、中心線はインド中央部を始めとし、台湾・東日本を通って、カムチャッカ東海上に達した。


画像2琉球列島付近では、島を避けるように中心線が通り、池間島・伊是名島・沖永良部島・徳之島でしか、中心食は観測されない。

画像3首里においては9時49分27秒に欠け始め、その時の太陽高度は33.9度であった。11時22分38秒に高度44.4度で食甚となり、その食分は0.991であった。食の中心線から僅かにずれていた為、第二・第三接触は起きていない。

尚温王元年(1795I21)

元年正月元旦、日食す。
即位元年正月元旦、日食するに因り、故に諸凡の典礼は初二日に於て挙行す。
日食の時に方り、主上扮粧戒慎して、復円の時を待ち、服を改む。
(角川書店発行 球陽研究会編 球陽 読み下し編)

画像4この日食は地球全体では、南九州から北太平洋中部を通る皆既日食であり、首里においては6時49分の日の出時には既に欠けている日出帯食で、日の出時の食分は0.287であった。

画像5食甚は7時36分49秒の食分0.834で、その時の太陽高度は8.9度であった。8時54分6秒に高度23.5度で食は終わった。部分日食であった為、第二・第三接触はなかった。

尚温王の即位が何月であるかは『球陽』には記載されていないが、『王代記』によると前王(尚穆王)が没したのは前年の4月8日である。したがってこの年、新王が即位するのは事前に決まっていたと考えられる。『王代記』の記述からは、王が薨じた翌年に次の王が即位することを基本としていたと読み取れる。王の即位の年、欠けたまま昇ってくる初日の出を、当時の人々はどのような気持ちで見ていたのであろうか。
(注:「王代記」は作者及び成立年不詳の文書であり、取り扱いには注意が必要である)

尚泰王三年(1850II12)

三年庚戌正月元旦、日食す。
此の年正月元旦、日の之を食するあり。
諸凡の典礼、仍乾隆六十年の礼に照して挙行す。
(角川書店発行 球陽研究会編 球陽 読み下し編)

画像6

画像7この日食は地球全体では、アフリカ大陸からインド洋・インドネシアを通り、 フィリピン東海上で終わる金環日食であった。

画像8首里においては、欠けたまま17時50分33秒に日没を迎える日没帯食で、 日没時の食分は0.098であった。
欠け始めの時刻は15時41分37秒で、太陽高度は25.7度であった。
食甚は16時54分29秒の食分0.552で、その時の高度は11.1度であった。
この日食も部分日食であった為、第二・第三接触はなかった。
この日食は予報されていた事が「琉球王国評定所文書」に記載されている。

考察

3件の日食はいずれも元日に起きている。現象の起きた時刻、食分等は記載されていない。代わりに元日の典礼が詳細に記載されている。これは日食の記録ではなく、典礼の記録であるといえる。実際、3件以外に食分の十分大きな日食(例えば1842VII8の日食は首里では皆既日食に近かった)があったにもかかわらず、記録されていないことからもその解釈は妥当であろう。
『琉球王国評定所文書』により日食を予報していたことが明らかである。曇天や雨天により観測できなかった日食は記載しなかったという解釈は成り立たない。

画像9            1842VII8の日食

天文現象の記録がはじめて『球陽』に現れる尚質王17年(1664年)以降、元日に起きた日食は7回あり、『球陽』に記載されていないものが4回ある。

画像11

そのうち1701II7の日食は北京においては不食である。また、1692II17と1767I30は食分が10%未満の軽微な食である。このため、日食を予報できなかった可能性がある。
一方、1719II19の日食は首里で20%程度、北京で60%強が欠けている。
1767I30以外は『球陽』の編纂以前であり、記録が散逸していた可能性もある。

「日食」の表記について

本noteでは、「日蝕」の表記を用いてきた。しかしながら、『球陽』では「日食」の表記を用いていたことが
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000049615&ID=M2018041316065820961&TYPE=&NO=

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000049615&ID=M2018041316072120963&TYPE=&NO=
により明らかであるため、表記を改めた。(2021/06/20追記)



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