『球陽』の天文記事 ~怪星・奇星~

『球陽』には、怪星、奇星の記事がそれぞれ1件あり、いずれもハレー彗星の記録で説明が可能である。

尚穆王八年の怪星と異星

春三月九日怪星見はる。
此の夜、怪星有りて辰位に見はる。
是れに因りて、御番頭官、下庫理当官を将て明王に転達す。
其の星図、下庫理日記に見ゆ。
(角川書店発行 球陽研究会編 球陽 読み下し編)

『球陽』にはこれに続いて次の記事がある。

夏四月五日異星見はる。
此の夜、異星ありて巳午位に見はる。
即ち下庫理当官、明王に転達す。
其の星図は下庫理日記に見ゆ。
(角川書店発行 球陽研究会編 球陽 読み下し編)

尚穆王八年三月九日は1759IV5、四月五日は1759V1である。
斎藤国治氏は「国史国文に現れる星の記録の検証」の「VI ハレー彗星」の項にこの記事をリストアップしている。また、「古天文学」にT.Kiangが1972年に発表したという、この時の軌道要素を掲載している。この軌道要素を用いて、ステラナビゲータで再現すると、3月下旬に暁の東天のみずがめ座に現れた。

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1759年4月明け方の南東天


4月下旬にいったん見えなくなり、5月上旬に宵の南天で再び見えるようになった。
この彗星の出現はエドモンド・ハレーが予想したもので、「ハレー彗星」の名前の由来となっている。

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1759年5月宵の南天のハレー彗星

清史稿」の志十四天文十四には、甲午(1759IV10)に「大如榛子」と明るさを表していると考えられる記事があるが、「榛子」がどの星か不明である。

尚育王元年の奇星

本年八月二十七日夜、戌の初刻より戌の正刻に至るまで、奇星の西方に見はるる有り。
(角川書店発行 球陽研究会編 球陽 読み下し編)

尚育王元年八月二十七日は1835X18である。
「国史国文に現れる星の記録の検証」の「VI ハレー彗星」の項には、この記事もリストアップされている。Project Plutoによる天文シミュレーションソフトGUIDEに付属していた彗星の軌道要素を基に再現すると、宵の西天に見られる。日時、方角ともに良く一致している。

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1835年10月日没後の西天のハレー彗星

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