「雑頌」集紹介その2 


「オンライン・ラマナ・サットサンガ」プログラムFの詠唱用コンテンツとして配信されている、各種「雑稿集」の概要解説紹介シリーズです。


「雑頌」 (2)真我の知識(アートマ・ヴィディヤー)



※繰り返し

アイエー アティ スラバム アンマ ヴィッダイ
Aiyē! ati-sulabam — anma-viddai

アイエー アティ スラバム
Aiyē! ati-sulabam

真我の知識はたやすいこと
それこそもっともたやすいことだ


ノイヤール タマッ クムラン カイヤー マラガッ カニ
Noiyār tamak-kumulan kaiyā malagak-kani

ポイヤーイ オリヤ ミグ メイヤーイ ウラダーンマー
Poiyāi ozhiya-migu meiyāi uladānmā

ごく普通の人にとってさえ
真我は完全に実在する何物かだ
明白なグースベリーもそれに比べれば
見間違うことがあると言えよう

※繰り返し)

メイヤーイ ニラン タラン ターン ナイヤー ディルン ディダヴム
Meiyāi niran-taran tān-naiyā dirun-didavum


ポイヤー ムダム ブラガ メイヤーイ ムライッ テルミポイ
Poiyā mudam-bulaga meiyāi mulait-tezhumipoi


マイ ヤール ニナイヴァ ヌヴ ムイヤー ドドゥッ キダヴェー 
Mai-yār ninaiva-nuvu muiyā doduk-kidavē

メイ ヤール イダヤ ヴェリ ヴェイヨーン スヤム アーンマー
Mei-yār idaya-veli veiyōn suyam-ānmā —

ヴィラン グメー イルル アダン グメー イダル オドゥン グメー
Vilan-gumē; irul adan-gumē; idar-odun-gumē;

インバム ポン グメー
Inbam pon-gumē.

ハートの中で太陽として輝く真我は 実在しすべてにゆきわたる
偽りの想念が打ち砕かれ 細片さえ残さなくなるや否や それは自ら姿を現わす
 
この想念は 偽りの形式 — 肉体と世界の生じる原因であり
真理そのものとして 常に不変にとどまる真我を無視して
あたかも実在物のように見えるのだから
真我が前方を照らすとき暗闇は消え去り 苦悩は絶え至福のみが残る

※繰り返し)

ウーナー ウダル イドゥヴェー ナーナーム エヌム ニナイヴェー
Ūnār udal-iduvē nānām enum-ninaivē

ナーナー ニナイ ヴガル チェーローナー レヌ マダナール
Nānā ninai-vugal chērōrnā renu-madanāl

ナーナー リダメ デンドルッ ポーナール ニナイ ヴガルポーイ
Nānā ridame-dendrut pōnāl ninai-vugalpōi

ナーン ナーン エナッ グハイユ ターナーイ ティガルム アーンマ
Nān-nān enak-guhaiyu tānāi tigazhum-ānma —

ジュニャーナメー イドゥヴェー モーナメー エーカ ヴァーナメー
Jnānamē; iduvē mōnamē; ēka vānamē;

インバ スターナメー
Inba stānamē.

「私は肉体」という想念は さまざまな想念を数珠のようにつなぐ糸
だから「私は誰か
 どこから来たか」 という探究に深く没頭するとき
それらの想念は消え
 真我の意識は すべての探究者のハートの空洞の中で
「私 ― 私」としてきらめく
 そしてこれが天国
これがその静寂
 至福の住居なのだ

※繰り返し)

タンナイ ヤリダ リンドリッ ピンナイ エダリ ギレン
Tannai yarida-lindrip pinnai yedari-gilen

タンナイ アリン ディディルピン エンナイ ウラ ダリヤ
Tannai arin-didirpin ennai ula-dariya

ビンナ ヴイル ガリル アビンナ ヴィラッ ケヌマ
Binna vuyir-galil abinna vilak-kenuma

タンナイ タニル ウナラ ミンヌム タヌル アーンマ
Tannai tanil-unara minnum tanul-ānma —

プラカー サメー アルル ヴィラー サメー アガ ヴィナー サメー
Prakā-samē; arul vilā-samē; aga vinā-samē;

インバ ヴィカ サメー
Inba vika-samē.

真我のほかに何を知る必要があるのか
真我そのものを知った人にとって ほかに何か知るべきものがあるのか
無数の自己の中で 唯一自ら光り輝く一者である真我を それ自体で実現したとき
真我の光は内部で明るく輝く これがまこと
恩寵の真正の発現
 エゴの死 喜びの至高者の開示

※繰り返し)

カンマー ディカッ タヴィラ ジェン マーディ ナシュタ メラ
Kanmā dikat-tavizha jen-mādi nashta-mezha

エンマーッ ガ マダ ニヌム インマー ガミッ ケリドゥ
Emmārg-gam ada-ninum immār gamik-kelidu

チョンマー ナダ ダヌヴィン カンマー ディセィリ ディンドリ
Chonmā nada-danuvin kanmā disiri-dindri

チュンマー アマルン ディルッカ アンマー アハッティル アーンマル
Chummā amarn-dirukka ammā ahattil-ānmal —       

ジョーティエー ニダーヌ ブーティエー イラードゥ ビーティエー
Jōtiyē; nidānu bhūtiyē; irādu bītiyē;

インバ ヴァム ボーディエー
Inba-vam bōdiyē.

運命とあらゆる類似の束縛が 最終的に解きほどかれ
人が生と死の恐ろしい循環から 解き放たれるためにも
この道は他の道よりはるかにたやすい
だから静かにし 舌と心と身体を 休止したままで保つようにせよ
光り輝く真我は内面に立ち現われる これが至高の経験
 恐怖は消え去る
これは完全な至福の果てしなき海

※繰り返し)

ヴィンナ ディヤ ヴィラックン カンナー ディヤ ポリックン
Vinna diya-vilakkun kannā-diya porikkun

カンナ マナッ カヌックン カンナーイ マナ ヴィヌックム
Kanna manak-kanukkun kannāi mana-vinukkum

ヴィンナーイオル ポルル ヴェーレンナ ディルンタ パディ
Vinnāioru porul vērenna dirunta-padi

ウルナードゥ ラットリ ルム アンナー マライ エナーンマー
Ulnādu lattoli-rum Annā malai-enānmā —

カーヌメー アルルム ヴェーヌメー アンブ プーヌメー
Kānumē; Arulum vēnumē; Anbu pūnumē;      

インブ トーヌメー
Inbu tōnumē.

アンナマライ 超越的なる一者 それは心の眼の背後にある眼
その眼と他の感覚器官は知覚する 
それはこんどは大空とその他の諸要素をも照らす
それはまた 心の空がその中に現われる魂の空
それはあらゆる想念が完全に解き放たれ 固く凝視して内部にそれとしてとどまり
ハートの中で輝く アンナマライ
 光り輝く真我はきらめく
しかし恩寵はもっとも必要なもの 真我にたいして本当に忠実なら
至福がもたらされる

※繰り返し)


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