「四十頌への補遺」各節紹介 その8
「オンライン・ラマナ・サットサンガ」プログラムFの詠唱用コンテンツとして配信されている、「四十頌への補遺(Ulladu Narpadu Anubandam:ウラドゥ・ナールパドゥ・アヌバンダム)」の概要解説&各節紹介シリーズです。
注)バガヴァーンは補遺の頌のすべてを自分自身で書くことはしなかった。かれが適当なものを見つけたときはそれを用いた。
※印を付している頌は古い聖典からの引用、※印のない頌はバガヴァーンが作ったものである。
【 第22節 】
コラッ タッカ ドゥム タッラ タッカドゥ マー
Kolat-takka dum-talla takkadu-mām
ミッヴィ ランディン クール ケーラーイ
ivvi-randin kūru kēlāi
アラッ タルカー ムダム ビンマール バガッ トリダ
Alat-tarkā mudam-binmār bagat-torida
ティダヤ メナ アマインダ アンガム
tidaya-mena amainda angam
タラッ タッカ ドーラリヴァー カーラ イダ
Talat-takka dōrarivā kāra-ida
ヤン コッラ タッカ ダー メンドル
yan-kolla takka dām-endru
ウラッ トゥッコル アードゥッルム プラム ムラ
Ulat-tutkol ahdullum puramu-mula
ドゥル ヴェリイル ウッラ ダン ドラーム
dul-veliyil ulla dan-drām.
【 柳田訳 】
※ 「これらの二つのうち、一つは容認さるべきものであり、他は否認さるべきものであるという特徴に注意せよ。肉体の胸郭の内側の特別な場所に位置するハートと呼ばれる器官は、否認さるべきものである。意識の形をもつハートは容認さるべきものである。それは内部にも外部にもあるが、しかしそれは内側とか外側とかいうものをもたない」。
【 第23節 】
アドゥヴェー ムッキヤ イダイアム アダン カンニヴ
Aduvē mukkiya-idaiam adan-kanniv
アキラ ムメー アマン ディルッ クム
akila-mumē amarn diruk-kum
アドゥ ヴァーディ エッポ ルックム エッラー チェル
Adu-vādi yeppo-rutkum ellā-chel
ヴァンガッ クム アドゥヴェー イッラム
vangat-kum aduvē illam
アダナーレー アナイッ トゥイックム アリヴァ ドゥヴェー
Adanālē anait-tuyirkkum ariva-duvē
イダイア メナ アライヤ ラーグム
idaia-mena araiya lāgum
シダヤー ニクン カルポー ジャダ ヴダリン
Sidayā-nirkun karpōl jada-vudalin
アヴァヤ ヴァットー シル クー ランドラル
avaya-vattōr siru-kū randral.
【 柳田訳 】
※ 「これは重要な(霊的な)ハートである。これはすべてその内部に位置している。それはすべてのものの鏡であり、すべての富の住居である。それゆえ、意識だけがすべての存在のハートである、と言われる。それは右のように知覚力のない死滅すべき肉体の小さな一部ではない」。
【 第24節 】
アーダリ ナー ラリヴ マヤマーン スッダ
Ādali-nāl arivu mayamān-suddha
イダヤッテー アハッタイ チェーックム
idayattē ahattai chērkkum
サーダナイ ヤール ヴァーダナイ ガル オドゥ ヴァーユ
Sādanai-yāl vādanai-gal odu-vāyu
オドゥッカ ムメー サールンターネ
odukka-mumē sāruntānē
【 柳田訳 】
※ 「それゆえ、意識の本性をもつその純粋なハートの中にエゴを吸収させるという実修は、生気(ヴァーユ)と心の潜在印象(ヴァーサナ)の静止に導く」。
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