「四十頌からなる実在」各節紹介 その14

22年12月より「オンライン・ラマナ・サットサンガ」プログラムEにての配信中の、「四十頌からなる実在(Ulladu Narpadu :ウラドゥ・ナールパドゥ)」の概要解説&各節紹介シリーズです。


【 第37節 】

サーダッ カティ レー ドゥヴィタン サーッディ ヤッティル アッドゥ ヴィダム
Sādak-kati lē-duvitan sāddi-yattil addu-vidam

オードゥ キンドラ ヴァーダ マドゥム ウンマイ ヤラ アーダラ ヴァーイ
Ōdu-kindra vāda-madum unmai-yala – ādara-vāi

ターン テードゥム カールム タナイ アダインダ カーラッ トゥム
Tān-tēdum kālum tanai-adainda kālat-tum

ターン ダサマン アンドリ ヤー ターン ヴィットゥ ポーンドラ
Tān-dasaman andri-yār tān-vittu – pōndra


【 柳田訳 】
「探究しているときは二元性、成就したあとは非二元性」という格言は正しくない。その真我を熱烈に探究しているあいだも、その真我に到達した後も、いずれの場合にも、第十番目の男を除いて他に誰がいるのだろうか。


【 福間訳 】
「探究の間は二元性、達成すれば非二元性」という教えも偽りである。
熱烈に探究しているときも、真我を見いだしたときも、十番目の男※7は常に存在していたのである。
※7 「ラマナ・マハルシとの対話 第1巻」対話63参照。


【 第38節 】

ヴィナイ ムダル ナーマー イン ヴィライ パヤン ドルイッ ポーム
Vinai-mudal nāmā-yin vilai-payan druip-pōm

ヴィナイ ムダ ラーレン ヴィナヴィ タナイ ヤリヤ
Vinai-mudal āren-dru vinavi – tanai-yariya

カッ タットゥ ヴァム ポーイ カルマ ムーンドルン カラルム
Kart-tatu vam-pōi karuma-mūndrun kazhalum

ニッ タマー ムクティ ニライ イーデー マッタ ナーイ
Nit-tamā mukti nilai-yīdē – matta-nāi


【 柳田訳 】
われわれが行為の実行者である限り、われわれはその結果を甘受しなければならない、しかし、実行者とは誰かを探究した結果として、自己自身を知るときには、実行者であるという感覚は失われ、三つの種類のカルマから解放される。解放の(結果として生ずる)状態は永遠である。


【 福間訳 】
行為者としてあるかぎり、行為の報いを受けることは免れない。だが、「行為者とは誰か?」と探究して真我を実現すれば、行為者という観念は消え去り、三つのカルマは終焉する。これが永遠の解脱の境地である。










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