「四十頌への補遺」各節紹介 その7
「オンライン・ラマナ・サットサンガ」プログラムFの詠唱用コンテンツとして配信されている、「四十頌への補遺(Ulladu Narpadu Anubandam:ウラドゥ・ナールパドゥ・アヌバンダム)」の概要解説&各節紹介シリーズです。
注)バガヴァーンは補遺の頌のすべてを自分自身で書くことはしなかった。かれが適当なものを見つけたときはそれを用いた。
※印を付している頌は古い聖典からの引用、※印のない頌はバガヴァーンが作ったものである。
【 第19節 】
アダン ムガ ミガ ルラ タハ ムラ シル トゥライ
Adan-muga miga-lula taha-mula siru-tulai
アダニラー サーディヨ ダマルン トゥラ ティルン ダマム
Adanilā sādiyo damarn-tula tirun-damam
アダナヤー シリッ トゥラ アキラマー ナーディガル
Adanayā sirit-tula akilamā nādigal
アドゥヴァリ マナ ドリ アヴァットリナ ディルッ ピダム
Aduvali mana-doli avattrina dirup-pidam.
【 柳田訳 】
※ それはさかさまになっており、内側は、その中に欲望などを伴った濃い暗黒(無知)が住む小さな穴である。すべての偉大な霊的な神経(ナーディ)はそれに依存する。それは生命力(プラーナ)、心(意識の)光の住居である。
【 第20節 】
イダヤ マラル グハイ ヤハマー イラ ギライエー
Idaya-malar guhai-yahamā ila-giraiyē
グヘーサン エナ エーッタッ パットーン
guhēsan ena ēttap-pattōn
ニダマ ナイヤ グヘーサン ヤーネヌン ソーハム
Nidama-naiya guhēsan yānenun-sōham
バーヴァ ナイターン ニンヌ ダンビル
bhāva-naitān ninnu dambil
スティタ ムル ナーネヌン ディダンボー ラッビ ヤーサ
Stita-muru nānenun-didambōl abbhi-yāsa
バラッ ター ラッ デーヴァーイ ニルキル
bhalat-tāl ad-dēvāi nirkil
シダイ ユダナー ネヌム アヴィッダイ チェンカ ディローン
Sidai-yudanā nenum-aviddai chenka-dirōn
エディリルル ポール シダイ ユ マンドレー
edirirul-pōr sidai-yu mandrē. sant yo
【 柳田訳 】
※ ハートの蓮華の中に住み、そこで輝いている主はグヘサ(洞窟の主)として礼拝されている。引続く努力によって、「私はそのグヘサである」という確信があなたの肉体の中での「私」という感覚ほどに確固としたものになり、あなたが主になるならば、「私は死滅すべき肉体である」という形の無知は、日の出とともに消える暗黒のように消滅するだろう。
【 第21節 】
エッペ ルン カンナ ディイン カンニヴァイ ヤーヴム
Eppe-run kanna-diyin kannivai-yāvum
ニラ ラーガ エディレー トーンドルム
nizha-lāga edirē tōndrum
イッ ピラパン チャッ トゥイルガッ ケッラー マヴ
Ip-pirapan chat-tuyirgat kellā-mav
イダヤ メナ イサイッパ デードー
idaya-mena isaippa dēdō
チェップディ エンドレー ヴィナヴム イラーマ ヌック
Cheppudi-yendrē vinavum irāma-nukku
ヴァシシュタ ムニ チェップキンドラーン
vashishta-muni cheppukinḍrān
イッ プヴィイン ウイルッ ケッラー ミダヤ ミル
Ip-puviyin uyirk-kellām idaya-miru
ヴィダ マーグム エンヌン カーレー
vida-māgum ennun kālē.
【 柳田訳 】
「全世界が映るその大きな鏡は何かを私に説明して下さい。世界中のすべての人のハートは何ですか」。ラーマはかつて賢者ヴァシシュタにたずね、ヴァシシュタが答えた、「人がそれについて考えるとき、世界中のすべての人のハートは二つからなることが明らかになる」と。
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