旅行コンプレックスの私が『0メートルの旅』を読んだら
私は旅行が苦手だ。
旅行中、頭の片隅では自宅に帰ることをいつもぼんやりと考えている。もっとも好きなのは観光することでも地元の人と交流することでもなく、ホテルの部屋で風呂上がりにビールを飲みながらテレビを見ている瞬間だ。
旅慣れた誰かから「観光ガイドに載ってる店なんかじゃなくて、地元のおじさん達が日常的に使ってるような小汚いお店がいちばん美味しいんだぜ」とアドバイスをされても、ことりっぷに載っている観光客向けの割高の店に行く。
優しい上司が気を利かせて「金曜出発で1泊して土曜にゆっくり観光でもして帰ってきなよ」とスケジュールを組んでくれた出張も、結局どこにも行かずに土曜朝イチの飛行機で東京に帰ってきた。
それはなぜか。私は見知らぬ土地にいる間ずっと「地元住民に歓迎されていないんじゃないかと病的にビクビクしている」のだ。
あちらからしたら日常でしかない景色を物珍しそうに見物するのは、失礼にあたるのではないか。何も知らずに観光客として訪れている私のことを、嘲笑っているのではないか。綺麗な観光地の裏に実は過酷な現実があって、正直観光に来られるのは迷惑だと感じているのではないか。
だから人目の付く場所で地図を広げたり、るるぶ片手に大きなカメラを下げて歩いたり、わナンバーの車を走らせたり、道ばたにあるなんの変哲もない銅像の写真を撮ることがとてつもなく恥ずかしいと感じてしまう。観光客を笑うようなひどい人、いないのはわかっている。迷惑をかけるような行動でないことも理解している。でも恐怖心がぬぐえない。こうなった原因は謎である。物心ついたときからそうなのだ。前世で何かやらかしたんだと思う。
私はこれを「旅行コンプレックス」と名付けている。
とにかく地元にいたい。家から出たくない。知らない場所がこわい。飛行機乗りたくない。できたらベッドで寝ていたい。寝てるだけでお金欲しい。8億ほしい。8億ほしいしふわふわの犬に囲まれて暮らしたい。
3kg痩せたい。
急にいろんな願望が溢れ出てしまいすみません。
そんな家から出たくないし8億ほしいし3kg痩せたい旅行コンプレックスの私は、岡田悠さんの著書である『0メートルの旅』を、別世界を覗き見る感覚でおそるおそる開いた。
目次を見ると「海外編」「国内編」「近所編」「家編」という章立てで、遠い海外から徐々に岡田悠さんの自宅(0メートル)に近づく構成になっている。でも『0メートルの旅』ってなんだろう。0メートルは旅と言えないのではないか。0メートルは「日常」だし…
わずかな疑問を残しつつもページをめくると、まずいきなり別世界だった。
だって最初に書かれているのが「南極」での出来事なのよ。
新婚旅行が、「南極」なのよ。
なんで?
しかも南極はまだ治安がいいほうで(南極に治安とかないけど)、南アフリカで雇ったガイドに怒鳴られたり、モロッコでバックパックをいきなり盗まれたり、イスラエルで人ん家の庭で極寒の中冷水に打たれたり、ウズベキスタンで所持金が70ドルになったり、とにかく「そんなことある?」と目を疑う様々な事件が次から次へと起こる。
過激すぎる記録である。『鬼滅の刃』読むのと同じくらいのテンションで読み進めた。
私だったら失禁してその日のうちに帰国しているレベルの事件が多発しているにもかかわらず、岡田さんはいつの間にか地元の人々と交流を深め、数々の事件もふくめて丸ごと旅を楽しんでいる。決して観光客であることを振りかざしたりはせず、旅先で暮らす人々や文化へのリスペクトが常にあり、些細な出来事や感情の機微から何かをいつも感じ取ろうとしている。
物語は国内に移る。国内でも相変わらず、青ヶ島で最低評価のホテルに泊まったり猛烈な台風でヘリコプターが飛ばなくなったりと、ド派手な巻き込まれ方をしている。このあたりから、旅の神様は岡田さんのことを愛してるのか突き放しているのかがわからなくなってくる(たぶん激烈に可愛がられている)
そして「家」の章。かの有名な狂気的企画「エアロバイク日本縦断」について記されている。その中で、宮崎県に住むある女性のエピソードが出てくるのだが、それまで旅をどこか他人事と思っていた自分の歯車にその話がカッチリと噛み合って、気づいたら涙が出ていた。そっか、旅ってそういうことなんだ。だから、岡田さんの旅は楽しそうなのか。今まで無理やり出掛けていた私の旅は、そもそも旅じゃなかったのかもしれない。みんなに読んでほしいからあえて詳しい内容は書かないけれど、この章の後半は、旅が苦手な私の胸にも深く刺さった。
思えば岡田さんの文章には、一貫しているところがあった。「最南端のバーで飲み干すウォッカは、五反田で飲むそれと同様に視界を楽しくぐらりと揺らした(南極)」「オレンジジュースはどの街でも等しく優しい(モロッコ)」。旅とは、日常と切り離された別世界に行くことだと思っていた。けれど岡田さんの旅は、明確に日常と地続きになっている。遥か遠い南極もモロッコも、五反田での生活も、等しく特別な「旅」であり「日常」なのだ。
私は旅が苦手で、地元が好き。果たして「地元にいること」と「旅をしないこと」はイコールなのかと考える。
たとえば自宅から徒歩1分のスーパー。これまで「いらっしゃいませ」だった店員さんからの挨拶が、ある日「いつもありがとうございます」に変わった。
家を出てすぐ、外国の方にタクシーの乗り方を尋ねられ、しどろもどろの英語で伝えたら「アリガト」と向こうもカタコトの日本語で返して握手してくれた。
ファミリーマートで新人の外国人店員さんに「荷物を送る」の概念が伝わらず、別のファミリーマートへ誘導されたがなんとそのファミリーマートの外国人店員さんにも伝わらなかったので、荷物を配達できるファミマを探す「ファミリーマート行脚」をした。
これら全部、家から徒歩圏内での出来事だ。でもいまだに私の心に残り続け、うれしくさせたり胸を温めたり、フフッと笑わせてきたりする。
これってちょっともしかして、私も「旅」していたのでは。
『0メートルの旅』という本は、ただの旅行記だとたかを括って読んではいけなかった。
今まで当たり前に過ごしていた日常を、読んだそばから「旅」に見せてしまう、ある種の魔法の本かもしれない。
旅行コンプレックスの私が「0メートルの旅」を読んだら、遠くに行くことだけが旅じゃないことに気づかされてしまいました。
おわり
※紙質にも仕掛けがあって感動したので、迷った方はぜひ単行本での購入をおすすめします。
ありがとうイン・ザ・スカイ