鵜呑みにすることの弊害に気をつける
1
ウチの親父の言っていた相手の真意を探るについてもう少し考えてみた。
相手の真意を考えると言う事は相手の発言の意図するものを洞察するものということ。
例えばある有名な先生から「こうしてはダメ」といわれたとする。
その言葉の背後にはこうすると陥ってしまう罠があり、それに陥ると致命的だという意味があると思う。
逆に言えば、「こうする」ことによる必要性があり、かつそれによっても陥らない条件を自社が有しているか、陥ったとしても致命的ではないのであれば(相当性あり)、「こうして」もいいということになる。
つまりそれは物事を◯Xで考えないということ。自分の頭でモノを考えると言う事。
2(1)
有名な先生は先生なりの理論やフレームの下に物事を判断している。
その理論やフレームはあくまで物事を判断するための手段。理論・フレームが優れているのは当然として、それをきちんと「利用」できているところに有名といわれるゆえんがあるのだと思う。
でも中途半端にそれにふれた「信者」は、そのフレーム自体を目的化して、それに反するものをXだと見なしてこれ見よがしに切り捨てたり、否定したりする。
それは思考停止であり、ジョブズのいうところの他人の人生を生きる、ドグマにとらわれると言う事だと思う。
だから理論やフレームは利用するものであって、ドグマ化しない必要があり、それこそが親父のいうところの相手の真意を考えると言う事。
そしてそれこそがゼロベース思考の神髄だと思うのだ。
(2)
でもこのスタンスを貫くことは勇気がいる。時に集団から浮いてしまうだけでなく、いじめや弾圧の対象になるかもしれない。
だから従業員や1部の中間管理職の方は職種にもよるが、こういった真意を見るスタンスは取らない方がいいのかもしれない。
特に日本人は集団の一体性や和を大切にするあまり、それを乱す意見やスタンスに対し、同調圧力をかけようとする傾向がある。
でも自分は小さな会社とはいえ、経営者の端くれ。経営者マインドを育成させて「経営者」にならなければならない。空気にとらわれてはいけない。
だから心したいと思う。
ちなみに今回知らず知らずのうち、必要性・相当性の観点から判断していた。知らず知らずのうちにリーガルマインド的な思考が血となり肉となっているんだろう。
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