囚人のジレンマに陥っている警備業界


経済学の中にゲーム理論というものがある。

これは自分と相手が相互に依存する状況下で、いかに駆け引きを行うかを分析するものである。

その中で一番知られているのが囚人のジレンマという概念である。

これは例えば囚人AとBが取り調べを受ける中、お互いが黙秘すれば執行猶予付きの有罪判決で済むにも関わらず、取調官がA,Bそれぞれに「お前が自白すれば相方は無期懲役になるがお前は無罪になるから吐け」と誘導する。
A,Bは二人とも自分さえ良ければいいとの考えから自白し、結果として懲役13年の実刑判決を喰らうと言ったような事例で示される。

つまり、互いが信じ合えば得をするのに利己心と相手への不信のためにそれが出来ずみんな損するというもの。

(芥川龍之介の「蜘蛛の糸」の世界にも少し通じるところがある。)

これは警備業でも言えるのではないか。

例えば業者間においてはお互いに社会保険支払い義務化、最低賃金の値上がりから適正料金の大切さを認識しているにも関わらず、利益を自分だけ一人占めするために出し抜こうと考える業者がわいてくる。

彼らは安い価格で仕事を引き受けるだけでなく同業者のお客様も奪い続け価格競争を加熱させる。

それだけでは飽き足らず社会保険が払えない料金設定を続けて労基法を無視しても安売りを続けて当局から摘発される。

にも関わらず、学習機能の備わっていない彼らはそれに懲りず、不毛の争いをやめようとしない。

そのうち低い警備料金が定着し、業界全体が疲弊し、警備の質も著しく低下する。

そんな人材が業界に溢れ、警備員の雑用係化が進行し、いざという時に何も出来ず、ユーザーに損害賠償の支払い義務を課されるなどお客様に多大な迷惑を掛けてしまう。結果、警備業のイメージは最悪となり、その社会的地位は地に堕ち、大きな損をする。

最近のアベノミクスやオリンピック景気により多少は持ち直したとはいえ、それが警備業の実態である。

まさに囚人のジレンマそのものじゃないか。

これに対し、社会が警備にそれだけの価値しか認めていないだけのことじゃないかという意見もある。
しかし、東京オリンピックも控え、警察や消防の補完的役割が求められる警備は民間でありながら、半ば公的な役割も特にこれから要求される。

そういったポジションの警備業を民間の自由競争原理にさらすことは業界のみならず社会のためにならないと私は思う。

やはり上記のような○○を1個残らず処理するような経済立法の成立を一警備業者として政治家の先生方にお願いする。

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