郷に入っては郷に従え

納得し難いが、この日本という社会は、かならずしも合理的思考で動いているわけではない。

例えば、この仕事に従事する何年か前、簿記2級の試験勉強のため、近くの図書館で勉強しようと学習室に入った時、電卓禁止の張り紙があった。


なぜ、電卓禁止なのかを自分なりに考えるに、それはカタカタなる音が他の利用者の学習の妨げになるから。

つまり学習環境保持の観点という目的達成の手段として電卓禁止という手段が設けられた。

とするなら、カタカタならない電卓であれば他の利用者の学習を妨げることにもならず問題ないのではないか。
と思いカタカタ音のならない電卓を持っていき勉強し始めると駄目だといわれた。

なぜなんだろう。例えカタカタ音がならなくても、誤解させる言動をとれば、カタカタなる電卓を使う言動を誘発するからだろうか。

であるならば、入口でチェックするなり定期的に部屋を巡回する司書や職員の方が音のなる電卓を使っているか確かめるなりすればいいと思う。その上でそれを使っている方に対して厳重注意をすればいいだけだと思う。

つまり、電卓使用の一律禁止は不合理な処置だ。

でも、そんなことを主張すれば、痛いやつだと敬遠されるか、場合によっては謙虚さが足りないと説教されるのがオチ。

きっと日本という国は自分の言動が実際禁止されているかどうかというより禁止する事柄をイメージさせる言動そのものが悪いという一種の言霊的価値観が未だに続いているように思う。

それは仕事についてもいえる。

実質的に考えると別に制服なんてピシッとしてなくても、動きやすく、機能的なスタイルであればいいようにも思える。
でもそれをやるとだらしがなく、真面目に仕事していないという見るお客様も出てくる。

それだけならまだしも悪い事をする人でさえ、そう考える節があるように思う。
であるなら、それが納得いかなくとも、お客様に安心してもらうには、服装をピシッとする必要性があるだろう。

それがこの社会で仕事に従事していくための一種の条件だと思う。

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