意味はあるかどうかでなく見出すもの

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この前のブログで必要性と相当性が出てきた。

ブログを書きながら知らず知らずの間に出てきた価値判断。それだけ自分の血となり肉となっているといえる。

いいか悪いかは別として、表面の事象に流されず、自分なりにモノを考える際のツールになっている。

司法試験の勉強をしていなければ、この価値判断は出てこなかったと思う。

2

これがアドラーのいうところの線ではなく点で人生を歩む意味だと思う。

試験に落ちた。その点からみれば、自分の司法試験受験は全くの無駄であり、何の成果も意味もないだろう。司法試験受験経験を勉強開始→結果という線で考えるとそうなるだろう。
それについてはその通りだと思う。

でも勉強開始から結果までを点で見ていくと、例えばリーガルマインドの養成とそれの経営者としての判断の適応いう成果が見られる。

そして、それを見つけていくのは、他でもない自分自身だと思う。

意味があるかどうかではなく、あるものを見出すという視点が経営者には求められると思う。

自分は法律家にはなれなかった。でも本当の意味の経営者になるために、失敗を絶対に力に変えていく。

回りに何と言われても自分は飛んでみせる!


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