受け止める事

1. 前日のブログで神戸でのデパートで3000円以上の買い物をすると駐車場代3時間無料の話をして、目先の支出を惜しむことは却って、より大きな支出につながることを言った。

またこの例の話に戻る。

始めは本当に必要なものを買っていた。でもあるときから果たして必要なのかそうでないのか分らないものを買うようになった。

その時の自分の心理としては「これはこういうときに意味があるから」「こう考えればどうだろうか」みたいな状態だったといっていい。

こういう経験をされた方は自分の他におられるかもしれない。

2. (1)ではなぜこういう無駄を正当化したいという心理に取り憑かれるのだろうか。

この点について、アメリカの心理学者レオン・フェスティンガー氏は、自分の心の中に矛盾した2つの事実が同時に存在する場合、多くの人は事実が変えられないと分かると、自分の考え方や行動を都合良く変える事で、なんとかこの矛盾した状態から逃れようとする心理状態になると主張する。

これを認知的不協和の解消という。

(2) この場合でいうと、駐車場に3時間停めることによって発生する1500円の支出を免れるため、デパートで買い物するという事実と、その買い物を3000円分した結果、形として1500円分余計に経費がかさんだという事実は矛盾する。

この場合、本当に欲しいものならばお得になる。だって、駐車代あわせて4500円かかるところが3000円で済んだのだから。

しかし、それが正直あまり欲しいものじゃなかった場合、その買い物をしなければ1500円で済んだのが、3000円の支出になってしまう。

そういう時、その気持ち悪い状態を解消させるため、この用具はこういう時に意味がある、ひょっとしたら、このお菓子は贈り物としてよいのではないか。この本は見識を深めるから人間形成には意味があるとかいって自己正当化を始めるわけだ。

もちろん、そういった無駄が人生を豊かにしてくれる側面はあると思う。それはそれとしていいと思う。

でもこれは無駄遣いである。無駄を無駄と認識することが、目的意識をはっきりさせるためには必要だと思う。

でも無駄なものを意味のあるものと考える事は正直いただけない。

そういう意味では冒頭の無駄遣いにおける自分の自己弁護は間違っていると思い、以後そういうことは慎むように心掛けている。

それは物事の認識を弱らせ、目的達成力を弱めることにつながるから。

3. これは仕事でも同じだと思う。

例えば、隊員がミスをする。

もちろん、隊長以下現場責任者はそれを注意する。

でもたまに「そんなの意味がない」とか「自分の方が正しいことをしたのにあのお客は分かってくれない。会社も間違っている。」とかいう隊員の方がいる。

それは自分のしたことと、警備員として求められることとの矛盾を解消するために自己正当化をする認知的不協和の解消をしていることになる。

でもこういうことがまかり通れば、独りよがりが進み、全く成長というものがなくなる。

それが上記のような生活の一場面やその人の事業の一環ならば許されるだろう。

でもそれが組織の一員としての業務に関わる事ならば、許されない。

当然、マイナス評価にせざるをえない。

なぜなら、その注意は自社が理想とする警備業の方向に合わないからしているわけで、それをせずに自己正当化するということは、自社の目的に反しているわけだから。

だから、私は、隊長を通して(時には直接)、自社の隊員に対し、失敗は仕方がない。

大切なのは、その後、その事実をありのままに受け止めることだと事あるごとに伝えている。

そしてだからそれを伝える隊長は隊員の模範にならなければならないと思う。それができない隊長に対しては、社長としてそれなりの評価をせざるをえない。

来月の隊長面談ではそのことも伝えていきたいと思う。



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