本物の警備が意味する「面白さ」

 池井戸作品は面白い。例えば「ルーズヴェルトゲーム」にしても「下町ロケット」に「俺たち花のバブル組」にしても「鉄の骨」にしても設定は固いのにエンターテイメント性があって、読んだ後に晴れやかな気持ちになる。多分登場人物が何をするにしても基本的に「つきつめている」からなんだろうなあ。それがないと本当の面白さって生まれないんじゃないかと思う。

 今日、ある人からあなたの会社のミッッションってちょっと重いんじゃないかって言われた。ちなみに自社のミッションは「本物の警備の提供を通して日本における警備業のあり方を変える」というもの。その本物の警備という言い方が人によっては重く感じるらしい。もっと面白く和気あいあいな感じの方が親しみやすいのではないかと。でも僕はそうは思わない。

多分その方とは面白さのイメージが違うのだろう。自分の中では本物の警備の追求と面白さは両立するというかイコールの関係にある。限られた就業時間の中でその日その日の仕事を真剣に行う。真剣にやればやるほど、自分の至らなさに打ちひしがれる。時にお客様からの苦情もあって辞めたくなるときもある。スランプに苦しむこともある。でもその壁を乗り越えるために必死で考え、実行する。そしてブレイクスルー。その達成感、カタルシス。その後のビールの旨味。自分が考える本物の警備の追求のイメージとはそんなつきつめる面白みのことをいう。

 もちろん、本物の警備と聞いてもピンとこない隊員にもっとこのイメージを伝える必要はあると思う。でもこの「面白さ」がどうしても鬱陶しくていやだ、もっと軽くゆるいものがいいから絶対に受け入れないと言う隊員が今後出て来たなら別に辞めてもらって結構。入ってくれなくても結構。その方の居心地のいい場所を求めるのを妨害する権利は自分にはないから。

 そう考えると、ミッションはお客様だけじゃなくて求人や従業員に対する差別化につながると思う。顧客満足度にしても従業員満足度にしても求人の数にしてもその善し悪しはその差別化の有無によって大きく左右されると思う。それをするには本当の意味でのミッションの浸透がなされないといけないと思う。現状は全くできていないといわざるをえない。




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