巣鴨睦月さんに捧げる詩

・昨日病院にいった

こないだのテストの続き

前回が知能テスト、つまりIQの測定だったのに対して
今回はADHDとかASDの兆候があるかどうかのテストだった
この2つのテストを総合して判定をするらしいです

テストの内容は、質問と1234があって、1はよく当てはまるで4が当てはまらないで4段階のグラデーションで答えるっていう
よくあるやつ。

正直ね、はっきり言うと疑わしい。
高校の時もこう言うテストをみんなでやっていた記憶があるのだが、
別にこれをやって、誰かが呼び出されていたところを見たことがない。
まあ高校とかは言い方は悪いが形骸化していて、とりあえず学校側がなんとなくやっていたという側面があるような気もしなくないが
でも、実際1234の4段階で判定するのって結構無理がある気がする
し、おんなじような質問がいっぱいあるし疑わしい。

しかしだね、こっちはもう2万円を払って、結構遠い病院まで足を伸ばしているので
今更、もう後に引けないんだよ。
疑っても、何にも精神衛生上よくないので
なんかすごいテストだったと思うようにします


テストを受けていて、当然(?)1が多い。
1は、まあよくないやつだ。
「忘れ物が頻繁にある?」→「1」
っていう感じのやつ。
我ながら、情けないというか、数値化されてしまったことでより自分の至らなさに気づくと言うか。
と落ち込んでいて、試験官の先生と、結果を見ながら軽いカウンセリングをした。
色々話したけど、一個共通していたのは「自己肯定感の低さ」というところで、自分は過去の日記にもあるように、とかく自己肯定感が低く、そのせいで少し内罰的なところもあるように思う。

先生は、ADHDがあるかはともかくとして、あなたの生きづらさは性格的な面に依っているところも大きいように思う、とおっしゃってくれた。
そして、カウンセリングなどをして、自分を受け入れるトレーニングなどもできると良いかもしれないと提案してくれた。
なんというか、意外というか、いや、自分でなんとなく気づいてはいたのだが、この自分のネガティブな性格と付き合っていくのにもううんざりしていたところもあった。
そういう点で、それを改善できる余地があるという発想自体、あんまり自分の中になかったから精神科ってすごいところだなぁと思った。


性格って、もう矯正が無理だと思っているんだけど、どうなんすかね。
人間が生きてきて、もうかなり序盤でその人間を形作る「核」みたいなのができていて、あとは肉付けをしていく段階みたいな。
スレイザスパイアで、最初に結構大事な、そのゲームで中心となるデッキの方針を決める、みたいな感覚。
だから、もうおれの歪な「核」はどうしようもないと思っていたのだけど。実際のところはどうなんだろう。
精神医療という分野に若干興味が湧いてきた。


・これくらいしか書けることないです。
さよなら。
さよならを教えて。
さよ教。
(この内容の日記でさよならを教えてって書くの、なんかよくないすか。)

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