steamのサマーセールの女の子に捧げる詩

・こっちは昨日の大雨の影響で休講になった
昨日の雨はすごかった
雷もいっぱい落ちてたし。
でも今日は特に雨は降ってないから休講になってるのはよくわからない

朝、遅刻だ‼️と思って急いで学校に行ったけど、もぬけの殻で、「❓❓」という感じでスマホで学校のポータルサイトを見てみると「午前休講」と書いてあって、なんやねんと家に帰って寝た

昼に帰って、「そろそろ午後の授業に行くか...♠︎(ヒソカ)」をやって教室に行っても、またしてももぬけの殻。いやな予感がして、再び学校のサイトを開くと「今日は休講」だそうです。
はぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ん

おれ、こういうこまめにお知らせをチェックしたり、メールを確認する、みたいなマメなことをするのが、本当に本当に本当に本当に苦手で
毎回、バカみたいな間違いをして、凹んでいる

どうにかならないかな



・「ルックバック」という映画を見てきました

面白かったです
最後の方はボロボロと泣いてしまった

自分は、こういう“創作賛美”みたいな作品にすごい弱くて、自分が創作者だというのは非常に烏滸がましいと思うんだけど
でもやっぱり、創作の楽しさ、創作を通じて得る自己承認というのは絶対にあるはずで。
そこは絶対に揺るがない、尊いものだという自覚があるんだよね

この作品を見た時に、ふわっと思い描いたテーマみたいなものって
「絵を描くことは呪縛だ」
ということを思った
間違ってるかもしれないけど。

最初に示された4コマが、生まれ変わってもキスをしに行く、というもので、伏線として機能していて、
これが後半のSFチックな展開に繋がると思うんだけど、
要は、藤野がアクションを起こそうが起さまいが、藤野と京本は二人とも絵や漫画を描く運命(そのアクションを起こしたことで起きたのは京本の死を防ぐということだけ)であったのではないだろうか、と。
二人は、お互い絵を描き初めてしまって、「絵を描く」という沼にはまってしまった。創作という眩しすぎる存在に太刀打ちできず、なんだかんだ結局は絵を描く。
それは否定的でも肯定的でもなくて、ただそういうものだとして、二人の血潮に流れているのではなかろうか


自分も絵を描く者として思う。
いつか絵を描くことがなくなるんじゃないのかしら。
美大に行って絵の勉強をして、毎日何か手を動かして、自分の中のものを平面として出力する
そういう自分の日々が、何となく続くものだと今は思っている。
しかし、しかるべき時が来た時、自分は絵を手放せるだろうか

生きるためには、絵を仕事にしない選択肢もあるはずで、絵で生きていくことはたしかに無理かもしれない。
しかし、そうした時に「ルックバック(後ろを振り向く)」すると、絵が描きたくなって、絵を描くことがやめられなくて、鉛筆を持ちたくなるんじゃないだろうか

そういう、絵を描くことがやめられない、絵に魅了されることを肯定してくれたような気がして嬉しかった。
そうしてルックバックを見て、また絵が描きたくなった。

という感想を抱きました。
非常に良かったです。絵を描く人は、何かに打ち込む人は見てみたらいいと思うし、非創作者でも、きっとなにか感じ取るものがあって、そういう人もこの世にいるって何となくわかると思います
グッド映画!


・IKEAで買ったグミを食べてみる

【感想】
これは、グミではない。
ソフトキャンデーみたいな、そう言うやつだ
人に指摘されて気づいたけど、ゼラチンフリーって書いてあるじゃん。騙された(?)のはおれのほうだったと言うわけか。ハハハ
味はコーラ味で美味いし、タコ?鹿?の形をしていてかわいいんだけど
とかく、歯にネチョネチョくっついてきてうざってえ。

2回目はないだろう。さらば。


・group_inouとパソコン音楽クラブのイベントがあったらしくてTwitterにその動画が流れてくる

いいな!

羨ましい。

イノウもパ音もどっちもすごい好きなアーティストで、その人たちが互いに作用していると言うのは本当に良いことだと思う
一回どっちも生でライブを聞いてみたいなぁとしみじみ思います
やっぱ関東か。ムカつくぜ。。。

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