日記 0308 ~ 0315

手帳に書いたひとこと日記を、そのときを思い出しながら膨らませてみました。


0308

朝起きてカーテンを開けたとき、目の奥がギューとならない日が続いている。雪が少なくなって、車道のアスファルトがはっきりと見える。春の気配がする。
『春』をキーワードにわたしの頭に浮かぶ話がある。わたしの名前について。両親はいくつかの名前を候補に上げて、画数診断に勝ち残った名前をつけた。候補の中で思い入れがあるのは『さくら』という名前。わたしを出産する病室の窓から桜が見えたことが由来だと教えてくれた。地元で桜が咲くのは5月。テレビニュースで本州の桜が取り上げられるたび、すこしさびしい気分になったり、卒業式や入学式では桜に祝われることがなかった。それでも地元が大好き。
だから話を聞いたときは、気持ちが高ぶった。2ヶ月後に見られる桜が楽しみ。春はもうすぐ。

0309

きのうの感想は撤回。朝起きたら目がギューとなった。一面まっしろ。春はまだ遠い。

0312

読みたい本があったから本屋さんに行った。著者の名前を探して、そこには平置きされている作品がいくつかあった。「有名な作品には理由がある」という言葉が頭に浮かんで、いつか読もう、と思った。目線を上げると背表紙が並んでいて、目当ての作品を見つけられた。
家に帰って、本屋さんのアプリでこの作品のページを開いた。『在庫なし』の表示。あの一冊で最後だったんだ、と思った。
本屋さんで本を手にとるとき、同じ本が本棚に一冊しかないのは、すこし戸惑う。わたしが抜き取ったことで空いた一冊ぶんの空間が同じ作品で埋められるのにどれくらいの時間があくのだろうか。そのあいだは誰もその作品に出会えない。きょうのわたしと同じようにその本目当てで訪れる人や、店内を練り歩いて気になる本を手に取る人の出会いを奪ってしまった。そんな感情が湧き上がる。
決して悲観的になっているわけではない。本屋さんで本を買うというのはそういう偶然の要素もあってこその行為なのかもしれないと気付いた。その裏には必ず人の意思がある。

0313

わたしは本を読むのが苦手で、とくにストーリーの情景を文字からイメージに写すことに時間がかかるのでこれまで小説を読むことを避けてきた。
苦手意識と興味が競って、たまに興味が勝つことがあるのでそのときは読書に挑戦してみる。最近は興味の連勝なので棚に数冊の小説が並んでいる。
苦手な読書には多めのエネルギーを消費する。もっと少ないエネルギーで楽しめる娯楽がとくにインターネットには多く存在するけれど、文字のみで情報を受け取ったり伝えることを忘れたくない。なにより文字は音声や映像より余白が多いので、受け取る人それぞれの世界ができあがっていく。それを作者が狭めることもあれば無限に広げることもあるのでおもしろい。

0315

きっかけがなければ触れないような小説を読んだ。今のわたしがこれを読んでいいのかな……とちょっとだけ不安になっているちょうどそのときに挟んでいたしおりに『読書は一番近い冒険』と書いてあった。ストンと胸に落ちるってこういう感情なのかもしれない。
このしおりについて調べてみると、このひとことは数種類あるうちのひとつだったらしい。くじで当たりを引けたようでうれしい。不安な気持ちを言葉ですくわれるというのはとてもあたたかいことだ。
このできごとがあって、作品自体の思い入れがより強いものになった。これも『文字の余白』のおかげなのかな。