日記 0401 ~ 0407

手帳に書いたひとこと日記を膨らませてみました。めったに外出しないのでテーマに振り幅がないかも。


0401

今日の空は、雲にそれほど覆われていないのに薄暗い。黄砂の影響らしい。それを意識したとたんに私の心もざらざらと霞んでいくような感覚がする。
——苦手な天気は雨でなく曇り、なぜなら晴れとは大差ないふりをしているくせに微妙にじめっとしていて、光と影のメリハリがなくなりどよんとしているので、少しずつ調子が狂っていく感覚が気持ち悪い。
なんて思っていたこともあるが結局、曇りも雨も雪も空が濁る黄砂も好きではない。晴れの日がいちばん好きだ。
もやもやする気持ちと部屋の空気をすっきりさせようと窓の近くまで歩いて気がつく。今日は窓が開けられない。

0402

雰囲気が素敵なのと本編が3分弱という手軽さから魅了されて公開期間中に何度も観たドラマの配信が今日で終了する。寂しい。
宿泊施設を舞台に夫婦二人の日常が描かれるこの作品で、私がもっとも胸を打たれたシーンがある。
梅干しの箱だけを持ってきた妻に対して
「梅干し食べたかったなぁ」と夫がつぶやく。
「梅干し持ってきたよ。3つ」と妻が答える。
「なんで3つ?」
「もっと食べたい?」
「いやそうじゃなくて」
「しょうがないなぁ、3つ全部あげるよ」
二人で割り切れる個数を想像していた夫はむず痒い表情を浮かべつつも妻の言葉を最後に言い返すことをやめた。自分の思ったとおりに会話が進んでいないのにも関わらず夫は穏やかでいる。
このシーンが、私にはとてもあたたかくてやさしいせかいに見えた。自分の意見を押し付け、自分と同じでないから敵対するような環境は息苦しい。
この夫婦は別の回でも、2で割り切れる数について注目している。でも、このふたりなら3でもそれ以外の数もやさしく分けあえるのではないだろうか。

0403

好きな音楽について。
amazarashiに出会って4年目になった。私の耳に入るのは彼らの音楽が9割を占めていた3年間だったけれど、先月から他のミュージシャンの曲を聴き始めた。
音楽の楽しみ方は自由だと思いながらも、特定のミュージシャンの曲をかたっぱしから聴くような私のやりかたは猪突猛進だと自覚している。飽き性ならではのこの行動は、ときに強引で、ときに自ら背中を押されている気分になる。
スキマスイッチの曲は、日常生活に溶け込んでいる。しかし、最初から最後まで通して聴いたことはほとんどなかった。イントロから始まり歌詞を目で追いながら聴くと、馴染みのある(と思い込んでいた)曲でも、内容の解像度がまったく変わった。
それから、アニメやドラマの主題歌として作られたものを聴いた。アルバムを曲順のとおりに聴いて、知る人ぞ知る名曲を見つけた気になったころにはもう、この二人組が好きになった。
二人が音楽を愛していることが曲から伝わってきて、私も音楽がこれまで以上に好きになった。机の隣にあるアコースティックギターに触れる回数も増えた。新しく好きになった曲のコードを調べて、歌ってみる。途中でamazarashiの曲も歌ってみる。やっぱり好きだ。

0405

日が長くなったねと話したのはもう先月のこと。あの日よりわずか遅くに日が暮れた今日、まだ太陽が完全には気配を消していないころに窓を開けた。夜の匂いがした。
このきりっとした空気を感じるのは年に数回だけ。来客の見送りのために玄関先へ出るというのがほとんど。でも、この匂いで呼び起こされる記憶がある。

学校生徒がみんな帰ったあとに友人とふたりで学校に行ったこと。
わたのように大きな雪が降りしきる中で雪かきをしたこと。
大きな揺れで一時的に外へ避難したこと。
手持ち花火を兄家族とやったこと。
花火大会の大きな花火を家の前の道路から見たこと。
車の窓から見えるすすきのの輝きに圧倒されて帰ってきたこと。
授業が終わり真っ黒な空の下で、同級生とおつかれさまを言い合ったこと。

この記憶たちは、すべて夜の匂いとともに記憶している。
当時の私とは考え方とかいろんなものが変わっているけど、この匂いは変わらない。今日があの日の続きであることを実感する。

0407

きのう洗濯しておいたセーターが乾いたので、袋にしまった。寒くならないでね、と願いながら。
風が気持ちいいと感じたのは去年の秋以来のことだった。冷たく刺さる冬の風ではなく、紛れもない春の風だった。
履く靴に迷いつつ冬靴を履いていったら、歩く道はほとんどむき出しのアスファルトだった。靴底のゴムが削れてしまうような気がして、抜き足差し足の感覚で歩いた。
日本の南の方で桜が満開になったらしい。誰かがほほえみを浮かべながら撮影したであろう写真を見て、私もほほえむ。
桜の色は汚いと、一部の外国人は思うらしい。国語の教科書にそんな随筆があった。白ともピンクとも言えない、見ようによっては灰色にも見える微妙な色の花びらは、確かにゴージャスではないと思う。でも確かにきれいだ。
これだけ桜に注目しているけれど、自分の目で満開の桜を一回でも見てしまえば、散るころには寂しいといった感情を抱くことはない。ただ季節を感じたいだけなのだ。焦げた色の花びらが側溝に溜まっているのを見て、夏の気配を感じたい。