理解される努力など無駄

誤解を受けやすい人はいますか?はい、私もその一人です。
いつもむっとしているな。何考えてるか分からない。と思えば話してみると変わった人だなと言われたり。

本当の自分と、こうしたいと思う自分とのギャップに悩み、上手く伝えられなかったことにまた今日もがっくりと肩を落とす。

誤解を受けるのは大多数の人がそうで、誰もが深層までその人の事を理解なんて出来ないと知ったのは、理解される努力をしても言葉で言っても、結局はその人の受け取り方や解釈に影響される事が多かったから。

もちろん理解されるような伝え方も大事だけど、そもそも価値観や経験が違うので、話がわかっても本当の意味での理解が得られるのはまた別の話。
だから未だに賛否両論や批判は絶えない。

理解されようと思って手を変え品を変えやってみたけど、家族ですら理解されないこともたくさんある。
だったら理解されなくていいや、むしろ自分の心の中の宝石として輝かせることだっていい。

理解されたいんじゃなくて、共感が得たいだけの場合もある。
深いところの自分の気持ちや決意を受け止めて、肯定をされたい。
でも書いてみたらそんな聖人みたいな所業、人様が無償で出来るわけない。エスパーでないとできない芸当だ。
大抵、人は、言い方はどうであれ自分の本当の気持ちを言う。それか愛想のいい言葉を言う。だからすれ違いが起きたり、喧嘩が起こったりする。
喧嘩は理解を高めるチャンスではあるけど、自分の求める理解ではない事もある。

納得させることが大事だ。納得させるにはそれこそ行動と実現しかない。思いを語っても本当の意味の理解や共感を得るのは、きっとその人自身が傷だらけになってでももがいて生きて、培ってきたリアルだ。
さらに納得することって、他人が実際に経験したことじゃないと腑に落ちたりするのって難しいというのもある。
空腹は誰でも理解できるけど、骨折って経験しなきゃ本当の深いところまでの苦労なんて理解できない。ましてや心なんて複雑骨折みたいなものしてたら、目に見えないし、ここだよって言わない限り包帯を巻くことも一苦労なのだ。

自分らしさとはなんだろう?
自分らしさとは、他人が見る自分ではない自分のことだと理解してる。
それは他人の目を介入しない自分である。それを大事にしていけばいいのではないか。

そもそも自分自身のことだって本当の意味で理解することは難しい。まずは自分が自分らしく生きることが重要だ。
らしく生きる方法は、好きなことに嘘をつかないこと。嫌いなことにも嘘をつかないこと。自分がやったことは肯定し、褒める。傷や痛み、弱さにも素直になる。誰かの意見に流されずに、楽しい気持ちや好きな気持ちを優先する。

まとめ
理解されないと感じたらそれは宝。
自分が自分を理解する生き方を探し、自分らしさを築く。



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