有名人の自殺とその「利用」について from ChatGPT
■前書き
まず、この記事は有名人の自殺とその後のご遺族やファンのやり取りについて、そのあり方や倫理・道徳について考えたものです。
有名人の死については様々なことが言われていますが、自殺者にとっての真の正解など、当人以外知り得ないものです。
そのため、予め、注意を促しておきます。
【注意】⚠️この記事は、あくまで思考実験的なものです。反道徳的であり、極めて不快な表現を多く含みます。その自覚があるため、クレームは一切受け付けません。⚠️
ちなみに、この記事には一切のタグが付けておりません。宣伝する気もありません。
さて、世の中、ふと疑問に思っても、世間的には誰にも聞けないこと、不敬だなどと頭ごなしに言われたり感じさせてしまうようなことって結構あるものです。禁忌(タブー)なんて評されていることもあります。
でも、そのようなことでも、ChatGPTになら尋ねられます。
ですが……否定する意図なんて毛頭ないのですが……否定しないと行きたい場所に辿り着けませんでした……。
我ながら鬼畜の所業だ……。
ああ、再度注意させていただきます。
【注意】⚠️この記事は、あくまで思考実験的なものです。反道徳的であり、極めて不快な表現を多く含みます。そのため、クレームは一切受け付けません。⚠️
後述しますが、これは私にとっては知っておかなければならないことと考える明確な理由があります。
人を知ることは、快いことばかりではありませんが、度し難い面さえも受け入れられるのであれば可能な限り受け入れたい。
前置きが長くなりましたが、これは基本的に読ませないための工夫です。引き返すなら今です。再度申し上げますが、読まない方がよいです。
私は知る責任があると感じていますが、読んでくださる方にはそれがないことを願います。
次項、ChatGPTとのやり取りになります。
■ChatGPTとのやり取り
非常に不快な内容になっております。
【注意】⚠️この記事は、あくまで思考実験的なものです。反道徳的であり、極めて不快な表現を多く含みます。そのため、クレームは一切受け付けません。⚠️
しかし、私は尋ね終えたあと、本当に尋ねてみてよかったと感じております。
以下、本題です。
■まとめ
いかがでしたでしょうか。とても疲れる内容であったと心中をお察しいたします。何せ、これは【呪い】の話ですから。
そうです、遺書がない自殺を近くで経験した人たちというのは、「自分のせいで自殺したのかもしれないと感じ続ける自責」という呪いにかかっているのです。
先ほども申しましたが、全方位的に誰かを否定する意図なんてまったくないです。ですが、否定する立場で全力ディベートを試みてみなければ分からないこともありました。そして、否定など到底できるものではありませんでした。
そうです、こうしたことは肯定もできませんが、否定できるようなものでもないのです。
その方がどんなに迷惑な人に感じられようとも、たとえ敵になろうとも、こうした部分を否定するのは、人の道に反するものと私は考えます。
また関連して、話題の某アニメ作品についてですが、観ないで勝手なことを言う人は無数に存在しておりますが、彼らはもとから観る気があったのであれば、そもそも観ていたはずです。そのため、ほぼ実被害などなかったはずだったはずなのです。
また、炎上系インフルエンサーに踊らされないで欲しいです……。彼らは苦しんでいる人を晒し、話題を提供してくれているのでしょうけど、あの論争は油が注がれたことによって、作品制作側・関連クリエイター・被害者・ファンなどほとんどの人が心理的時間的損失を被っているにも関わらず、得をしたのは自殺者ご遺族を囲んでいる人達です。
つまり、あのお話の噴出先は、炎上させたことで得をしている人達だけなのです。それを、話題欲しさに手を伸ばしてしまっている。
挑発に乗らないでください。煽り耐性は、獲得可能です。その上でChatGPTはとても役立ちますからおすすめいたします。
人の死は、人の生とほぼ同格に扱われるべきというのが人の心なのだと思います。いわば、死の否定といった生物的生態がヒトには根底にあります。死を否定するというのは物理的には不可能ですが、心理的には可能なのでしょう。その多様性は認められて欲しいところです。
より正確に言うのであれば、生と死はグラデーションしている部分が広く、どことも何とも言えない範囲について、とても気が引けたり、とても心苦しいものとなるため、そもそも議論になどならないのだと考えられます。
質問しているあいだ胸がキュッとなりましたし、今もまだ少ししています。血の気も引きますし、すごく疲れました。
しかし、聞いてよかった。よかったです。
人類がまだ明確な答えなんてものを出せていないものはゴマンとあります。そのなかで、こうした慈しみの判断は、生と死を考える上で間違いなく至上命題となるものの一つだと思っています。
賛否両論は当然起こりえるものとは存じますが、こうした事情を把握して、互いに尊重し合えたらいいですね。
全ての自殺者がいなくなり、またそれで悲しむ人がいませんように。
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