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人間滅亡的探鳥論

— 中西悟堂に倣いて —


今、ここにあらためて我が越し方を振り返り思いみれば、私は只に「時の流れ」に順応し生きてきた、つまり本実の私はまさしく「何となく生きてきた」のである。しかし、そんな私には時に定めやらぬ深く重いある「思い」がある。それは、こうした「時の流れ」の中に「生きている」私の今ある存在そのものが、他なる存在者をして余所余所しくも不寛容な関係を心ならずも作り出しているのではないかという怖れ、そしてそれにより性起する私の「生きていることの申し訳なさ」という思い、言うなれば「生きている」という実存に答えた内省、つまり「実存的内省」である。
私は久しく况ゆる「探鳥」なるものに興味を引かれ、20年来続けてきたが、フィールドでの野鳥を観るたび、この「生きていることの申し訳なさ」という思いが持つ普遍的な意味があらためて思い起されるのである。つまり、この「生きていることの申し訳なさ」という思い、実存的内省は、人間が言語化したものではあるが、言語、文字を持たない他なる存在者においても、この思いを言葉ならぬ静的、動的なフォルムやアクションを通して自外に発現させているのである。たとえば夏の日、山合いの小さな渓谷に降り立ってみる。両岸からは大小様々な草木が陽に照り輝く川面を覆い、折り合うようにその枝葉を広げているのが観察される。では目前にする静謐で秩序を秘めたこの見慣れた眺望を成り立たせているものは果して多くの人間が語るように躍動し、生を讃歌する「生きる」モノ達それぞれが織りなす意志的な力によって斉らされているのであろうか。いや、そうではないと私は思うのだ。それは万物万有に予定され内在する「生きている(在る)ことの申し訳なさ」という思いを機縁として、それがはからずも広く自外にくくり出され「折り合う」事により調和された秩序が生み出されているのである。つまり、そこに紐帯として有るのは、「生きる」ではなく「生きている」という連用であり、それは意志による言語の語りかけに代る実存、つまり有りのままの形相、態度が折り合い見せる無言を介した語りかけである。
野鳥について言えば、野鳥はその内省を内容として、生物の持つ最も基本的な物性である慣性、つまり「在る、生きている」という形相を仮りて「生きていることの申し訳なさ」という思いを表現して見せているのである。野鳥は生と死が同時に成り立っている今という将に奇跡的な時の上に「生きている」。しかも、自らの存在理由について何等の主張、弁明もせず只々「生きていることの申し訳なさ」という思いのみを抱いて。かくなる野鳥を面前にして言葉を放棄した私の実存的内省は、眺望される野鳥が織りなす光景、風景を情景にあらためて描き直すのである。
そんなフィールドに立ちなずむ私の心の中に生まれ出るもの、それは感動ではなく感慨である。探鳥とはこの私と野鳥との「無言の会話」を介して生まれた一幅の情景が描き出す彼等野鳥の姿の中に観る共なる「生きていることの申し訳なさ」という思いを通して写しだされた偽りのない私自身に邂逅できたことへの感慨なのだ。
しかし、これに対して西洋で言う所のバードウォッチングが斉らすものは、観察の対象となる野鳥に、「生きる意志」という人間自己との同一性を思いがけずも“発見”したとする事への驚きが引き起す“感動”である。言い換えれば、それは野鳥の観察を通して自らの「生きる意志」の普遍性があらためて確信しえた事への“感動”なのである。
要するに、その「感動」は相対する野鳥と人間の「無言のしじま」を介した「会話」から生まれる感慨ではなく、人間によって全く一方的に理解され、説明される「感動」なのだ。西洋キリスト教人間中心主義社会の文化は、すべからく価値ある「感動」がなければ成立しない文化、つまり、ひたすら「感動」のみを追い求める「感動」文化である。神が「人間の為のみをもって作った」とされる地上世界を支配する人間は、その優越的地位をして、物言わぬ野鳥に「生きる意志」を介した一方的な自作自演の解釈をしかけ「感動」なるものを臆面もなく作り出しているのだ。
「生きている」野鳥に「生きる意志」は認められない。さればこそ、「生きる意志」により生起する「時間の創作」も野鳥には当然有り得ない事になる。
人間は鳥類の一部にみられる「渡り」なる行動の原因が「生きる意志」による「糧食の確保、繁殖、環境」を目的とした「時間の創作」である事を予断し、期待するのであるが、鳥類学者の「それは科学的にみて断定できない」という言葉によって期待された“感動”は霧消するのである。つまり、野鳥には、観察者が自らの身に引き移した「生きる意志」も「時間の創作」もないのであり、野鳥は只に奇跡的な今なる時の上に自らを代謝連用し、「生きている」実存的内省者なのである。
「生きている」という連用は全ての生物に通底する自明の真理かとも思える。しかし、多くの人間は、この言葉が自らに向けて語られる時、事の他反発し、不快感をあらわにする。何故ならば「生きている」には人間の「生きる意志」によって創作された人間社会参加には必須の「道具」であるところの観念化された時間が欠落しているからである。これは端なくもバードウォッチングが人間の「時間の創作」を前提にした営為であるという事についての明確な証明でもある。つまり、バードウォッチングなるものは全てを自らの言語下に納めたとする西洋キリスト教人間中心主義社会がイエス・キリスト神の「生きよ!」の〔言(ロゴス)〕の啓示に答えた人間の「生きる意志」、そしてそれが生起する「時間の創作」によって生まれた極めて独善に満ちた人間中心主義的営為なのだ。さすれば、この人間中心主義者(ヒューマニスト)が絶えず口にする野鳥との「共生共存」なるものは、生死の持つ「生死一相」の秩序を認めない(死なくしては存在そのものが有りえない)生への一方的な「感動」の名のもとになされる態のいい自作自演の偽善である事を明らかにするのである。
探鳥なる言葉は、日本野鳥の会の創設者、中西悟堂の造語である事は広く知られた事実である。それは、「探」という「さぐる、さがす、たずねる」の動詞を元にして作られた「探春」「探梅」「探勝」といった極めて日本的感性を引き継ぐ言葉であり、そこには中西悟堂の西洋に対する色濃い反ヒューマニズム的メッセージが込められているのである。中西悟堂は戦前、戦後を通して著名な文化人が参加した有名な富士山麓の探鳥会を始めとして多くの探鳥会を主催したが、それは西洋的知性を基にするバードウォッチングを新ためて日本文化の流れの中で「探鳥」という独自の言葉をもって捉え直そうとしたのであり、又、これによって日本文化のポテンシャルを、その文化的深まりを高めようとしたのである。
人間中心主義(ヒューマニズム)に生起する「時間の創作」、それはいうなれば「可能性の先取り」であるが、バードウォッチングにおいて「可能性の先取り」にあるものは、野鳥に人間自らが内に持する「生きる意志」をはからずも見い出したとされる事により生まれる“感動”である。つまり、バードウォッチングは可能性として期待される先取りされた“感動”を観察という営為の対価として常に要求するのである。逆にいえば“感動”というキーワードがなければバードウォッチングという営為は成立しないのである。そして、バードウォッチングの成立には感動の他にもう一つのファクターがあるのである。それは対象とする野鳥が常に「生きる意志」を具現化している存在として今そこに「在る」、あらねばならないという事である。
死んだ野鳥にはバードウォッチャーが求める感動は生まれない。ただに死んだ野鳥にバードウォッチャーが心する事は醒めた一べつの同情である。
「時間の創作」という可能性、存在(生きる)の可能性、つまりバードウォッチングはこの共属する「存在と時間」という「可能性の先取り」の上に成り立つ営為なのである。
これに対して、中西悟堂が探鳥に託しているものは感動ではなく「感慨」、つまり西洋の感動文化に抗する日本の感慨文化への想いである。
「鳥と人生の条件を一つにすること。これは鳥の記録でも保護でもない、冷たい観察や計算を通じての解析や帰納でもない(野鳥記・独語)」。「私の本質は科学的とは言えず、魂は常に文学乃至ひろい意味での文化と肌を接していたし、かつ終始一貫して宗教の光を慕っていた・・・つまり、(それは)科学への不信、また西洋精神への妥協し難い不信からであった(野鳥開眼—真実の鞭—)」。
中西悟堂は、「西洋精神」を基礎にする人間中心主義の「冷たい観察」バードウォッチングが野鳥を単なる対象物、客観的な存在者としかみていない(ジル・ドゥルーズは悪びれる事なく、それを「人間的自然」とよんでいる)西洋の感動文化に対して反ヒューマニズムのもと、自然が理(ことわ)りとする共生共死の想いを自らと共有する野鳥の姿に、実存的内省の真実を見届けようとするのである。つまり中西悟堂の日本文化における探鳥という営為は、一期一会の偶然に寄り添いえたこの「人生の条件を一つ(共生共死)にする」野鳥と、「生きていることの申し訳なさ」という思い(実存的内省)を共にする事ができた事への感慨に思いを致すことなのである。ここに野鳥観察者の実存的内省は感慨を生み出す一幅の情景を描きだすのであり、この描きだされた情景には万物万有がその摂理とする共に生き、共に死ぬ「共生共死」の思いが明確に織りこまれているのである。
この中西悟堂の「西洋精神への不信」、つまり人間中心主義文化への不信が戦後日本の絶対的風潮となったヒューマニズムに影響された日本野鳥の会の運営方針に異をとなえ、それが自らが創設した同会を離れざるをえない必然的な原因となった事は言うまでもない。
探鳥、それは生死を一如とする日本的感性を根とする反人間中心主義的営為である。反人間中心主義を標榜する中西悟堂はその生涯を通して探鳥という営為をもって世界における日本文化の独自性をあらためて世に問い、知らしめんとしたのであるが、心ならずして、ここに敗北したのである。しかし、日本文化の歴史に自らが残した「探鳥」なる言葉が後世に言継がれる事を確信する中西悟堂に敗北者の悲哀は更々ないのである。
ともあれ、中西悟堂の思いに倣い、探鳥に身を委ねる私は人間に必然する「時間の創作」、つまり「可能性の先取り」を拒絶した今という唯一無二の時の上に「生きている」私なのだ。言うなれば、それは人間滅亡の私なのだ。まさに野鳥の「生きていることの申し訳なさ」という思いのヒダに深く分け入り、共鳴している人間滅亡の私がそこにいるのだ。ここに、人間滅亡の私は深く広く万物万有に連用した共に生き共に死ぬという「共生共死」の結縁の端緒を得たことになるのである。しかし、当然ながら人間滅亡は「時間の創作」の滅亡と同時に人間中心主義社会の滅亡をも意味する。つまり、それはヒューマニズム思想を根底に持つ社会を構成する「生きる人間」そのものの滅亡である。従って、人間滅亡的探鳥は、この現代人間中心主義社会という時空間を心ならず担保とされた途惑いと尽きせぬ悲しみを覚悟した「敗北者」である「生きている人間」即ち、実存的内省の人間滅亡的人間の中にしか存在しないのである。
 
追記:これは私が長年所属していた日本野鳥の会を中西悟堂に倣い退会するにあたって書いたものである。