Mの告白-7

その後は思惑通りみすずを調教していった。みすずには掃除や洗濯、夜食作りもするように命じた。手抜かりがあった場合には容赦なく縄締めをした後何時間も放置したり、鞭でひどく打ち据えたりした。その後はいつものようにアメを与えた。これで彼女はこの状態から抜けられないと思われた。

しかしこのうまくいっていた関係も思わぬ落とし穴があった。

私自身がこの状態に飽きてしまい、さらなる刺激が欲しくなってしまったのだ。

手術が終わり吸入麻酔剤を切り人工呼吸器から手動に切り替えたあと患者の呼気から出る麻酔剤が手動式バッグに残る。患者の覚醒が悪いとき麻酔医はバッグの中に麻酔剤が残っていないかバッグを外して匂いを嗅ぐことがある。私はあるときバッグに残る麻酔剤を吸って気分が高揚するのに気がついた。これを持って帰れないだろうか?

全身麻酔が始まる前に麻酔器の点検をするのだがその際吸入麻酔剤が減っていれば追加しなくてはならない。私はこのとき瓶から麻酔剤を4分の1ほど麻酔器に移すと、瓶を持ち出した。

持ち帰った麻酔剤セボフルレンを少量ビニール袋に入れて吸ってみた。たちまちアルコールで酩酊したような状態になった。吸いすぎると二日酔いになるのだろうかと危惧したが翌日にはそれはなくむしろ頭がすっきりしていた。それに味をしめて毎日吸入するようになった。さらに吸入しながら自慰すると快感がいつもより十倍増しになることに気がついた。

しかしほどなくみすずにこのことが発覚、糾弾されることになったのだ。

私は過失や未必の故意で人を3人も死なせていて、罪悪感故に麻酔を吸っているのだと言い訳した。また兄を自殺で亡くしていると言って同情を買うことにした。みすずは悪いのは過重労働を強いている大学病院の勤務体制だ。やめた方がいいと言ったが私にとってはどうでもよいことだった。いつもみすずを攻めたてた最後に頸を締めていたのだが、セボフルレンを吸った後に頸を締められたら気持ちがいいのではないかと考えた。それでみすずに甘えた声で言った。キメセクしよう、と。

いつもの立場が逆転しているのが彼女を高揚させたのかみすずの愛撫は荒々しかった。執拗に舐め回すだけの稚拙なものであったが、麻酔の催淫作用でびちゃびちゃと淫猥な音を響かせた私はだらだらと愛液を溢し続けた。そして最後に頸を締めさせることに成功した。

いまわの際に私は幼い頃遊んだ祖母の庭にいた。百日紅の木の下で兄が、何か言いたげに微笑んでいる。近づくと私を抱き寄せて接吻した。熱い息が流れ込んでくる。お兄ちゃん、これからはいつも一緒だね。

夢はそこで途切れた。私は現実に引き戻されたのだ。兄の接吻はみすずの蘇生措置だった。天国へは入場禁止ってわけか。

私はもう生きていくことにも飽きていたし生き返るのも苦しいし死ぬのも面倒くさいと思った。もちろんこれまでにしてきた行いに対する良心の呵責など全くない。私はみすずの説教を聞きながら、実は自分の中にひた隠しにしていた「悪臭」を気取られたと感じていた。それでみすずに言い渡したのだ。

「出ていって。もう二度と顔も見たくない。」

電車がやっと動き出した。今日は遅刻だな。後で遅延証明書をもらおう。扉があいて副都心の駅のホームに吐き出された私はごった返す人の波を潜り抜けて改札へ向かった。

「高島先生、午後の診察はあと一人です」外来の看護師長が声をかける。

「今日は混んだね」

「そうですね。連休明けだからでしょうか」

私は今某市中病院にいる。みすずと最後に会った日からほどなくして他大学病院で医師の麻薬乱用事件が頻発したことが社会問題になった。麻酔剤全般の管理がさらに厳しくなり持ち出しが困難になってしまった。これを機に大学病院を辞め内科に転科したのだ。もしどうしても無理なら検診医や献血ルームで働くなど内科はつぶしがきくと考えた。最初は患者との会話にぎくしゃくしたが二年間修行するうちに徐々に慣れた。そして私には新たな楽しみがある。電子カルテ上にひそかに作った患者のリストだ。

患者たちの共通点は身寄りのない高齢者、生活保護受給者。要するに何をされてもクレームが来ないような患者ばかりを集めたリスト。私は毎日このリストを眺めながらどの様に実験していくか考えを巡らせている。



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