Aの告白-3

両親は兄の死を嘆き悲しんだ。特に兄を溺愛していた母は何ヵ月も寝たきり状態となった。だが月日が流れていき悲しみながらも診療を続けていくうちに徐々に風向きが変わっていった。兄が父の後を継承すると思われていただけにその望みが潰えた今は私に矛先が向いたのだ。医大6年生の頃には内科医院を継ぐように何度も説得された。しかし子供の頃から人とのコミュニケーションが苦手であったので患者と対話が必要な科に行くことは気がすすまなかった。それで国家試験合格後は大学病院の麻酔科に入局した。

しかし患者と会話する機会が少ないとされる麻酔科でも執刀医とは話をしなくてはならなかったし、時にはこちらの言い分も通さなければ患者の命にかかわる事態も招きかねない。そういう意味では高度なコミュニケーション能力が必要になる場面も多々あった。こんなはずではなかった…こんなことならもっと対話を必要としないであろう放射線科医か、病理医になるべきだった。私は執刀医との軋轢に毎日ストレスを溜めていった。そんな中最初の事件が起こった。

手術全般を麻酔科が担当出来るほど大学病院に麻酔医はいないため、小さな手術は各科の医師が担当した。このため大学病院では月単位で外科系の研修医がローテーションで麻酔の研修をするように義務づけられている。来年耳鼻科へ入局するという研修医が麻酔科に研修に来た。小柄で目がくりくりっとした女性研修医だったが、とても26歳には見えなかった。コンビニで酒を購入しようものなら断られかねない。やたら人懐っこかった。患者に全身麻酔をかけて手術が始まるとハイリスクの麻酔でない限りは安定期に入り、比較的暇な時間になる。その時間を見計らって彼女は話しかけてきた。麻酔に関してのこと以外に病院の食堂の飯はまずいとかニュースやアイドルの話など。話下手でぶっきらぼうな私でもついついほだされて話に乗ってしまうのだった。そしてそんな時間が決して嫌ではないと感じていた。そんなある日のこと彼女は唐突に言った。

「先生は自殺するならどのような麻酔剤を使いますか?」

私は最も苦しまずに死ねると考えられる薬品と使用方法についてこと細かに説明した。研修医は神妙な面持ちでメモをとっていた。

彼女の麻酔研修が終わった数週間後彼女の死を知った。何日か欠勤していたのを心配した上級医が彼女の自宅を訪ねたところ応答がなかった。悪い予感がして大家に鍵を開けてもらったところ、すでに絶命している研修医を発見した。点滴の瓶がカーテンレールから釣り下がっており、空の注射器と麻酔導入剤と筋弛緩剤のアンプルが床に転がっていたらしい。情報通の看護師からは失恋が原因の自殺ではないかとの噂を聞いた。手術室の責任者である医局長が事件が発覚した日の夕礼の際、手術室の薬品棚には鍵をかけることになったと告げた。

「それにしてもイソゾールを打った後ベクロニウムを入れるなんて誰が教えたんだ。麻酔導入剤は一分しかもたないから、そのあと40分も効果のある筋弛緩剤を入れたら呼吸が止まっているのに意識がある状態が続いて地獄の苦しみだったろうに」

それは私です、と心の中で呟いた。人から聞いた話を鵜呑みにする前に自分で調べなさいね、お馬鹿さん。

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