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過去を踏み潰す

時々、何の予告も前触れもなく、過去の映像だったり思考だったりが蘇ることがあります。大抵は、不快感や吐き気を伴って。

迷惑な話です。

僕の意志で起こるわけではないし、僕自身の記憶ですらないことも含まれたりして、そういうのは、蘇るというよりは新しい経験として僕は認識してしまうので。

僕たちは、あえて雑に書きますが、親から性的な虐待を受けて育ちました。高校を卒業して家を出るまで。
僕の、性に関する知識は、実体験を伴って親から与えられたものです。
もともとは家族以外の外部に向けられていた性的な欲求が、いつしか僕に向けられるようになりました。それまでいつ崩壊してもおかしくなかった両親の関係性が改善したのは、多分僕という生贄、僕という犠牲のおかげです。

僕が性的なことやそれに伴うほぼすべての感情を不快に思い嫌悪もしているのは、この経験のおかげです。おかげといっても感謝はしませんが。

でも、僕はその「はじまり」を覚えていません。どんな虐待を受けてきたのかも、僕自身の記憶はとても曖昧です。その場面のすべてに僕が関わったわけではない、というか多分、その途中で僕という役割が出来たのだと思っています。

厳密にいえば、僕は、僕自身が虐待を受けたわけではない、という認識を持っています。僕はその経験における「傍観者」であり「隠蔽者」です。

この経験は僕のものではないと思うことで、現実からの逃避を手助けしました。この経験から生まれたすべての感情を押し殺し、踏みつけ、握りつぶすことに注力しました。
そうしなければ、僕たちは今の僕たちではいられなかったということです。

嫌悪するだけではなかったから。

もしもこの経験がなかったら、僕たちはどんなふうに生きていたんだろう、と考えることがあります。
そもそも僕は存在していなかったかもしれない、でも、本当はそのほうがよかったんだと思います。



僕が処理したものは、まだ僕たちの「何処か」に生きています。僕たちは生きていくと決めたし、生きていく僕たちの中にそれらも含まれているからです。いつか、その怪物に、僕が逆に処理されてしまうこともある、かも、しれません。


ああ、やっぱり気持ち悪い。


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